2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧
「kari=狩り」はイノシシ狩りのように「gari=狩り」の音に変ります。狩りはその対象 の動物を「殺して」人間が「食べる」為の行為です。「狩り」の動詞は「狩る=karu」です。 狩りは人類が永続する為には飢えた時だけすべきです。猪や鯨を捕って食べて来…
端午の節句は男の子が「強く=tu-yoku」育つように願う催しです。目的がはっきりしてそれを 達成しようと思う「強い」「意欲=i-yoku」があると何でも成功する可能性が高くなります。事業等 を起こして成功すると、その人が住んでいる地域では「大物、重要な…
過去の大犯罪の犯人は現在この世に生きていない、既に死んだあの人だと言われ出しても人間 は「死ぬ=shinu」と「発言や弁明が出来ない」ですので、「濡れ衣を着せられて」「有罪」と断罪 される可能性が高いです。発言や弁明をするには「口や歯」が必要です…
召し「上がる=agalu」と食べ「飽きる=akilu」の「上がる」と「飽きる」は似た 音で「食べる」事に関係があります。「木々=kigi」で分るように「k=g」ですので 「agalu=akalu」と「akilu」は同じ語源から派生した言葉だと推測できます。「食う」 と召し…
浦添は「浦襲い=ura-usui」すなわち浦々を「襲う=抑える=統治する」地域だと大学時代の琉球の歴史の時間に聞いた事があります。「襲=oso」う、抑えるの名護方言は「usu=ウス」インです。 一時沖縄を統治した人が住んでいた場所が浦添ですので、その説は…
川崎真治著の「日本語の語源」の「火と牛の啼き声」の部分を読んで頭にうかんだのは お菓子とカタツムリの名護方言でした。お菓子の名護方言は「kwa’si‘=クヮーシー」です。 菓子の意味は「穀物や木の実」を「火で焼いて」出来た「結果=子供」の意味ではな…
ペチャクチャ喋るのは「口=ku-chi」の動作です。「pe-cha」「ku-cha」の「ku-cha」と 「ku-chi」がほとんど同じ音、同じ綴りであるのが分ります。これを纏めると「pe=ku=口」 ではないかと推測されます。「唾=tuba」は「口」から外に「吐き出す」物です…
子供は成長するにつれ手足が大きくなりますので年が変る毎に靴と服を買い替える必要が あります。「成長する=手足が大きくなる」と見なして良いでしょう。「成長する、大きくなる」の 名護方言は「pudu=プドゥ」インです。インが「大きくなる、増加する」…
過去の大犯罪の犯人だと死んだ後から疑われたら、現在この世に生きていない、既に死んだあの 人だと言われ出しても人間は「死ぬ=shinu」と「発言や弁明が出来ない」ですので、「濡れ衣を着せ られて」「有罪」と断罪される可能性が高いです。発言や弁明をす…
人と人が絡む以外に糸も「絡み」ます。糸は別の物に絡むのが役目ですが、 糸どうしが絡んだら役に立ちません。逆に面倒な事になります。「糸目をつけない」 と言う表現があります。「糸」「絡む」「目」はかなり繋がりがある言葉ではないか と推測されます。…
日本語にはアッカド語のマツとギリシャ語のマツが入って来ていますが、その二つの 言葉は「反対に近い」意味がありますので「正月に門松」を立てるかどうか「墓地に松」 を植えるかどうかの違いとなって現れます。正月を「期待して待つ」人たちは「門松」 を…
せっかちは大失敗をする事は100メートル競技でボルトがフライイングをして 失格になったのを見ても分ります。決められた時間前に一人だけ「スタートライン」 の「外に足を踏み出す」動作が「フライイング」であり「せっかち=sek-kachi」な 動作です。「…
「nazuna=薺」の中には「az」の音が入っていますので「小さい」事と関係が有りそうです。 薺の学名を見ると「capsella-bursa-pastoris」です。「capsella」はカプセルで「飲み込める ほどの小さい入れ物、小さい容器、小箱」です。学名にも日本名の薺にも「…
浦島太郎の物語を作った人たちもお祝いの終りにカチャーシーを踊る人たちもトルコ系の人か トルコ語を知っていた人と考えられます。見たこともない、会ったこともない人は「見ず知らず」 と言いますので、「zu=z」は否定を表すのが分ります。浦島太郎は竜宮…
「目と=meto」目を合わせるのが「会合=meeting」です。同じ組の人や同級生が 再び会う集まりは「re-union=再会」と言うようです。「uni」や「eni」などの「ana」 行音は同じ釜の飯を食った人たち、同じ「穴=ana」の貉で「穴や目」を表す言葉に含 まれて…
「穴を開ける」器具には「毛抜き=k-enu-ki」があります。顕微鏡で見ると良く分り ますが、毛は毛穴に生えていますので毛を抜いた後は穴が見えます。「手抜き=t-enu-ki」 をすると仕事に「穴が開き」ます。その結果恐ろしい事、「目に」余る事がしばしば起…
船を括る綱など綱は長いのが多いです。しかし必要なだけの「最小限」の長さに「短く、小さく」 した綱があります。それを表す言葉に「az」の音が含まれるのは合理的です。そのような綱は馬や人 の「動きを制御する」、行動範囲を「小さく」します。それが「t…
ある枠を決めて入場者を決めると、それに「入る」人とその枠が一杯になって溢れ出し、 中に入れない人がいます。申し込みをする人が「多過ぎる」と中に入れる人より「中に入れ ない」人、「外れる」人が多くなります。宝籤の例を見ると分り易いですが、「当…
那須の与一と恩納ナビに共通するのは「名うて=naute」の弓の使い手と「名うて」の歌人 だと言う事です。那須の与一は村上水軍の一員だったかもしれません。誰でも簡単に出来る なら名うての人、名人は沢山いるはずです。名うての人が有名なのはその「仕事が…
ほんの「僅か」の言葉で言いたい事や感情を表す表現形式をなぜ「俳句」と言うのでしょうか。 「僅かの量は軽い」です。「俳句」は「軽快、軽妙、酒脱」な表現形式です。「俳句=haiku =少い」 と考えられます。「hebo =ヘボ」役者、ヘボ将棋は「heta=下手…
トルコ語では「az=azu」は「小さい、短い、長くない」ですので「否定」を表す「la」をつけて 「azla=azula」にすると「小さくない、大きい、長い」になります。「kazula =葛」は「長く延 びる植物」です。とても「少なく大した事ではない」は物の「kazu=…
取るの否定は「to-la-nai」です。「to-lu」の「lu」の音が「la」に変化しています。 「る」で終る動詞の否定はほとんど「la」で否定して「同じ意味」の「ない」が続き ます。触るの反対は「sawa-la-nai」です。このブログの読者はトルコ語の小さいは 日本語…
悔しいを「口惜しい」とも言います。悔しいだけで十分なのになぜ口惜しいまで 覚えないといけないか不思議に思っていたのですが、元々の日本語は「kuchi=口」 惜しいだと思われます。悔しい思いをするのは他人に「後れ」を取った時でしょう。 「負けた」と…
頭隠して尻隠さずと言う諺があります。嘘が見え見え、ハッキリ分る状態を表して います。これと似た表現が「口から出まかせ」でしょう。それが正しいか何も考えない、 検討もしないで、ただ頭に浮かんだ事を言うのが口から出まかせでしょう。ほとんどの 場合…
後ろの方向は背中の方向です。物を「s-eni=背に」すると「見えない」のは当然でしょう。 「h」と「s」は「対応する=入れ替え可能な場合が多い」ですので「否認」と「背に」は同じ 語源から出来た言葉である可能性が高いです。違った漢字を使っていますが別…
自分で見なかった事、「meni=目に」しなかった事をまるで見たように言うと後で 辻褄が合わずにばれる場合が多いです。 人間には後ろ見えませんのである物を目に したい時には「前に」持って来てと言います。「前に」の沖縄方言は「me’ni=メーニ」 です。「…
長さや重さに関する数量を表す言葉は「ラ」行音が多いようです。 数量の「量=ryo'=lyo'」、 距離の「離=ri=li」、距離を測る単位の「里=ri =li」などがあります。余りにも多い量を表す 言葉に「きりがない」が有ります。きりがないの「きり」は「kiri…
走り競争などの試合で負けるのを「yavu=敗」れると言います。「yava」行音は「良くない、 劣った、劣悪な」状態を表すようです。「野蛮、夜分、破れかぶれ、野暮」など「限度を越えた 状態」を表す音が「yava」行音だと考えられます。「yavu=やぶ」蛇は良…
飛ぶ鳥は後を濁さずという諺を厳重に守って「尻拭い」を「キチン=kichin」とする人、 出来る人は「kicho'=几帳」面と言われます。名護の町を中心として考えると昔は大北区は 「後ろ」にある「田舎」でした。その昔の名前は「kichi-ru=キチル」です。 トル…
「やってはいけない」の名護方言は「sichi=シチ」ヤ、ナランです。シチの後に「否定」 がきています。この用法はトルコ語と全く同じです。「それをしてご覧、只では許さないぞ」 「とんでもない事になるぞ」と脅すときに「sichi-me'=シチメー」を使います…