悔しいと口惜しいと不遇を託つ

 悔しいを「口惜しい」とも言います。悔しいだけで十分なのになぜ口惜しいまで
覚えないといけないか不思議に思っていたのですが、元々の日本語は「kuchi=口」
惜しいだと思われます。悔しい思いをするのは他人に「後れ」を取った時でしょう。
「負けた」と思った時でしょう。入りたい学校へ「裏口」入学しかできなかった人
は忸怩たる思いをしているでしょう。内心では「悔しい思い、口惜しい思い」をして
いると思われます。人間には「表」は見えますが「裏」は見えません。「kuchi=口=
裏=後」の基本的意味は「見えない状態」ではないでしょうか。口も良く考えると
自分の口の周辺や唇は少しは見えますが、良く見ません。自分の口の中は全く見え
ません。人間には自分の「後ろにある部分」「尻」も見えません。草木も人間も命が
尽きると「朽ちる=kuchi-ru」と言います。死んだ人はもうこれ以上「見られない」
です。荼毘にふす直前までしか目にする事はできません。口惜しは「朽ち惜し」と
考えても良いでしょう。昔の歌に有名な「kochi=東風」吹かばの歌がありますが、
その歌も今は遠く離れて「見る事のできない」故郷を偲んで歌っている歌です。
「不遇を託っている人」の詩です。「kocha」行音や「kota」行音は「どん底」の状態
を表す場合が多いようです。「bu-kotu=武骨」な人は礼儀が分らない人と思われて
います。「苦しくて嫌な悪い」生活をしている場合は「不遇」を「ka-kotu=託つ」と言い
ます。「耐えられない程、死ぬほどに虐められる」のは「kote-n-pan=コテンパン」に
やられると言います。

  トルコ語では次の通りです。

kic = 後、裏、尻、底
       英語では rear, backside, buttocks, hip, bottom

kotu = 悪い、英語では bad