目を合わせるとガンを付けやがってと絡む人がいます

  人と人が絡む以外に糸も「絡み」ます。糸は別の物に絡むのが役目ですが、
糸どうしが絡んだら役に立ちません。逆に面倒な事になります。「糸目をつけない」
と言う表現があります。「糸」「絡む」「目」はかなり繋がりがある言葉ではないか
と推測されます。糸が「絡む」のを名護方言では「mati=マチ」ブインと言います。
「睫毛」は「mati=マチ」ギーです。「絡む=mati=目」が同じ音の言葉になって
いるのに気づきます。今の科学では物を「見る」には左右の「目を交差」させない
と、左目と右目の視点が一点に集中し、その後で「交差」して網膜に映らないと
「見えない」事が分っています。昔のギリシャ人も物を見るには「目を交差させる」
必要がある事を知っていたようです。「二つ」の物や場所、時間が区別できる時にも
「mata=又」などが使われます。木や道が二つに分かれていると二又です。二つの山、
「山と山に囲まれた狭い地域」を沖縄では「mata=又」と言います。名護では幸知又が
有名です。今から分かれた後で未来の「別の時間」に「会いたい」時には「mata-ne=
又ね」と言います。「目」も左右に一つづつありますので「二個」あります。

ギリシャ語では次の通りです。

mati = 目、英語では eye