目にしなかったと前に持って来て

 自分で見なかった事、「meni=目に」しなかった事をまるで見たように言うと後で
辻褄が合わずにばれる場合が多いです。 人間には後ろ見えませんのである物を目に
したい時には「前に」持って来てと言います。「前に」の沖縄方言は「me’ni=メーニ」
です。「e’」は長母音ですので、この言葉は「me-eni」と書き換えが出来ます。日本語は
同じ意味の二種類の外国語を並べて表現する場合が多いですので「me=目=eni」かも
しれません。「二つの目」を並べて「目で見る」状態を強調した言葉になっていると思い
ます。目の「前の」は「メーヌ=me’nu=me-enu」になります。犯罪現場にいなかった人
が犯人にでっち上げされたら堪りません。あるいは証人になれと言われても出来ません。
「見た事がない、目にした事がない」人か「h-ini-n=否認」するのは当然でしょう。これ
らの例を見ると「ena」行音「ena, eni, enu, ene, eno」は「目」に関係があるのが分るだ
けでなく、その言葉の前後に色々な音、例えば「h」などをくっ付けて「h-ini-n=否認」
としても「目」に関係があるのが分ります。「ina, ini, inu, ine, ino」も「目」に関係が
あるのが分ります。「目にしなかった」なら「m-ina=見な」かったになります。このように
ある「外国語?」を活用させると日本語になるのを知るとびっくりします。 この言葉は
外国語ではなくて「日本語の祖語」ではないでしょうか。

アッカド語では次の通りです。

enu = 目、穴、英語では eye, hole