暮れにと私の目が黒いうちは

 後ろの方向は背中の方向です。物を「s-eni=背に」すると「見えない」のは当然でしょう。
「h」と「s」は「対応する=入れ替え可能な場合が多い」ですので「否認」と「背に」は同じ
語源から出来た言葉である可能性が高いです。違った漢字を使っていますが別の言葉を加える
とその事が歴然とする場合があります。間違った事、「悪い事」は「否認」しますが、「悪い」
事をすると「ha-ini-n=背任」罪に問われます。ここでも「nin」の字は違いますが前の漢字と
くっ付くと「ina」行音、すなわち「目」を含んでいるのが分ります。 見るの音読み「k-enu=
k-en=見」は「ena」行音の後ろの母音「u」が脱落した形と見なすべきだと考えられます。「en」
の音は「rとl」のように発音の後で「上の歯茎に舌をつけるかどうか」で決まります。「en」の
場合は「つけない」で「enu」の場合は「つけます」。この音は「hong kong=香港」の場合と
似ています。「漢字のng」は日本語の「en」に似ています。後ろに「g」が付かない「on」の場合は
「enu」に似ています。アルファベットの「N」を「en」と発音するか「enu」と発音するか、日本語
では両方を同じと見なしています。「enu=en」です。「k-enu=k-en=見」であるのが分ります。
自分が「はっきり見た」と専門家が言う時には私の「目に=m-eni」「kurui=狂い」はないと言い
ます。「目の=m-eno」「kuroi=黒い」内はと言う表現もあります。この表現は「私が老いぼれに
なり判断力が無くなる迄は」と言い換えが出来ます。「老いぼれになる」のは「目に」現れます。
「老眼になり視力が衰え」ます。これは「eni=絵に」なると思うのは自分の「目で」見て美しい
と思うからでしょう。「kur eni=暮れに」なると「暗く」なりますので「見難くなる」のは当然
でしょう。自分のお家に遊びに来ていた人が「去る」と「見えなく」なります。去るの音では何の
ことか分りませんが「inu=去ぬ」と言うとその音を聞いて「目の前」から「ina-ku=いなく」なった
のが直ぐに分ります。実に合理的な表現方法です。

アッカド語では次の通りです。

enu = 目、穴、英語では eye, hole

   inu = enu と同じ

kur ini = 視力が弱い、視力が落ちている状態、遠視
        英語では weak sightedness, long sightedness

 注: アッカド語では別の言葉とくっつくと「enu」や「inu」の音は
    「ini」の音に変る場合が多いようです。