シチヤナラン、何もしてはいけない日が友引

 「やってはいけない」の名護方言は「sichi=シチ」ヤ、ナランです。シチの後に「否定」
がきています。この用法はトルコ語と全く同じです。「それをしてご覧、只では許さないぞ」
「とんでもない事になるぞ」と脅すときに「sichi-me'=シチメー」を使います。そして後は
どうなるか分らんぞと言います。「sichi」の発音が出来ない人は「hichi」と言います。この
発音とトルコ語は殆ど同じ意味になります。「tomo biki」は「友引」の漢字を当てていますが、
私は「tomo biki」はトルコ語の「tum」「hic」の合成語ではないかと思っています。「もう少し
の所で完成しそうなのに」その少し前の段階で「全ての物を無い状態にする」、「全ての物を
台無しにする」のが「tomo biki ← tum hic」ではないかと思っています。「引く」の首里方言
は「hichun=ヒチュン」です。「tum」は「これが揃えば完成する物」ですが、その状態の「否定」
が「hic」です。待ちに待った「楽しい最後の時間、大事な時間」を「全て台無しにする」事が
「tomo biki=tum bic」の元々の意味ではないでしょうか。そんな目には誰も会いたくないです
ので「友引」が嫌われるのは当然でしょう。別の観点から考えると「全てが動かない、効果がない、
現状が全く変わらない」の意味もあると考えられます。人間が「行動」するのは有る種の「変化を
求める」為です。「その変化、効果が全く期待できない」なら最初から何もしない方が良いに
決まっています。「友引」は「一種の休日」と見なすべきかもしれません。「全く何もしてはいけ
ない」日が「友引」だと考えられます。

トルコ語では次の通りです。

tum =  全て、 英語では all

hic = 全く〜で無い、前や後ろに否定を伴う言葉がくる

英語では never, not at all