会合や再開を表す言葉と目にする

 「目と=meto」目を合わせるのが「会合=meeting」です。同じ組の人や同級生が
再び会う集まりは「re-union=再会」と言うようです。「uni」や「eni」などの「ana
行音は同じ釜の飯を食った人たち、同じ「穴=ana」の貉で「穴や目」を表す言葉に含
まれているようです。かなり年を経てからの同級生との再会に集まる人はかなり「少なく」
なっています。「死んだ人」が多くなっているからです。「死=si」の否定は「sila」です
ので「生きている人=sila」が誰々は死んだと「sila=知ら」せます。同期会に来ている
人は「生きている人」ですので、「再会=生きている人の集まり=sila」になると推測出来
そうです。「目に」入るのや「目に=m-eni」するのは目の前で見る事です。「目抜=menu」き
通りで目が抜かれるわけではありません。多くの人を「見られる」「目にする」事が出来る
場所が「目抜き」通りです。二種類の言語「目=me=enu=目」を並べた言葉が目抜き通り
だと考えられます。「目で見て」これは綺麗なと思ったら「eni=絵に」なると言います。
何も見ないでそういう事は言えないでしょう。浦島太郎は故郷に帰って知っている人は全く
いませんでした。「誰とも再会できません」でした。知っている人は誰ひとりいなくて、故郷で
見た人は見知らぬ子供、人だけでした。

アッカド語トルコ語では次の通りです。

enu = 穴、目、ini に変化する、アッカド語、英語では hole, eye
inu = 穴、目、ini に変化する、アッカド語、英語では hole, eye

sila = 再会、自宅、故郷、トルコ語
英語では reunion, one’s home, homeland
uzlasma = 再会、合意、知っている、トルコ語
英語では reunion, agreement, understanding

         「z」の音が無いと ulasma(浦島)になります。
          もし「z」が否定ならば「ulasma=再会出来なかった、誰も知って
          いない」の否定で「uzlasma=再会できた、知っている」になります。
          日本語にも「悪い」状態、「否定したくなる状態」を表す沈むや浮き
          沈みの「sizu」がありますが、トルコ語でも「siz」や「saz」は
         「低劣」を表す言葉、「否定」の言葉に使われます。