春眠暁を覚えずの新解釈

「朝」「起きて」直ぐに「お祈り」をする
宗教があります。そのような宗教を信じる
国で朝寝坊をするのは恥ずかしい事です。
「shumu=shun=春」眠暁を覚えずと
言ってはおれないでしょう。朝寝坊を
して「起き」「上がる=mu」のが遅れ
ると朝の「お手合せ=shu mu=お祈り」
が出来なくなります。「眠っていた」
「min=眠」の状態だったので「朝の
お祈り」を「した覚えがない」のは
当然でしょう。「shu mu=お祈り」を
「suma=済ま」せずに眠っていたら、
春眠していたら、その日の「朝は何を
していたか覚えていない」のは当然
でしょう。二者択一の場合に一番は
良くて採用され二番は採用されません。
見捨てられます。春眠は「shu mu=
お祈りをする」と「min=二番」を
並べていますので、二番煎じの
二番の意味になります。多少が
少ない状態を表すのと同じ考え
です。それは「良くない」状態
であるのが「覚えず」で明示され
ています。朝寝坊しては良い事は
無いですよ。朝起きは三文の得
ですよと言うのが春眠暁を覚えず
ではないでしょうか。「min=ミン」
の音を含む沖縄方言は「悪い」状態
を表す場合が多いです。共通語でも
同じです。「危ない、危険」な状況
を皮肉って表現した言葉、標語が
赤信号「minna=皆」で渡れば恐く
ない、です。何名だろうが赤信号
の時に横断歩道を渡ると轢き殺さ
れるでしょう。

シュメール語では次の通りです

SHU MU = 祈る、 英語では to pray

SHU = 手、英語では hand

MU = 上向く、伸びる、成長する(起き上がる上がると同じ考え方)

MIN = 数字の2、英語では two