動物は最期にはのた打ち回ります

 なぜ「苦しそうに転げ回る」のを「のた打ち回る」と言うのでしょうか。この言葉
に含まれる「打ち=uchi」が「最期」を表すからだと思います。「uchi=打ち」所が
悪いと「死ぬ」場合があると言います。この「uchi」も「死を暗示している」と言える
でしょう。「uchi」の音には「終る、最後、最期」の意味があります。 「討死」も同じ
意味の二か国語を並べた言葉だと考えられます。「討ち=uchi=死」と考えられます。
「uchi」の音に別々の漢字を当てていますが「同じ音、同じ意味」の言葉です。お家の
「家=uchi」も仕事が「終ったら」「落ち着く」所ですので「音も意味も同じ」と考えて
良いでしょう。お家は一種の「終着駅」です。 「打ち殺す」、「打ち切り」、「打ち
止め」の「打ち=uchi」も全て同じ音、同じ意味です。首を「uchi=打ち」落としたら
「死ぬ」のは明白です。斬首の斬は「斬る」とも読みますので、「打ち切り」の「切り、
切る」と同じです。落語の落は「落ちる=ochi-ru」と読みます。「ochi=落ち」で「終り」
です。共通語の「o」は沖縄方言では「u」ですので、「ochi=uchi=終り」です。「uchi」
から「achi – ochi – icha --- icho --- ocho」などの音を含む言葉も「終る、最後、最大、
極限、極大、最長、最期」などを表すと推測できます。「最後の最後に」決め手を出して勝つ
のが相撲の「うっちゃり=uccha-ri」と考えられます。「icha-tuku=いちゃつく」のは男女間
の最高の愛情表現かもしれません。「icha-riba=イチャリバ」兄弟と言うのは「最高の」歓迎
の言葉かもしれません。人を「ocho=オチョ」クルと二人の間は「最悪」になるかもしれません。
「aca, ica, uca, eca, oca」から「uca, uci, ucu, uce, uco」を経て「oca, oci, ocu, oce,oco」
の音を含む言葉を含む言葉はトルコ語でも「uc」の意味を含むようです。戦う両者、両チームの
力が余りにもかけ離れていると「まだ何も始まっていないのに、すでに全てをし終えた」ような
言い方」「試合が済んで結果が分った」ような言い方をするのは良くない表現でしょう。
「まだ何もしていないのに」を表す名護方言は「sanuc=サンウチ」からです。トルコ語の「終り、
終結果」とほとんど同じ音、同じ意味と考えて良いでしょう。高校野球では「サンウチカラ」、
「負けの結果」を予想するのは禁物でしょう。「討ち取った」ら相手の命は「終り」ですが、
「打ち損じ」たら相手は「生き残り」ます。「打ち損じ=uchi-son-zi」を逆にするとトルコ語
の「結果」と音と意味が似て来ます。日本語でも「最後まで」「綺麗にしてから終る」ように
しなさい、と言う時には「kicchi-ri=きっちり」しなさいと言います。前後や東西、南北に
関わらず「一番先、一番後、端っこ」にあるのが「kichi=基地」です。基地に前線がついて
「前線」基地と言うのは同じ表現を並べた言葉だと考えられます。即ち「前線=kichi=基地」
です。「kichi-gai=気違い」は「受け入れられる範囲のぎりぎりの所、限界の場所、端っこ」の
「外=gai」の状態の人かもしれません。つまり「園外=円外=常識の範囲外」の人を指している
と考えられます。


 トルコ語では次の通りです。

uc = 最期の、最後の、終り、限度、範囲、英語では terminal, end, limit

sonuc = 最終結果(〜をして終りに出た事実)、終り、
       英語では final result, outcome, termination
kic = 尻尾の先、英語では tail end