2011-11-25から1日間の記事一覧

水を注ぐとさらけ出す

ユダヤ教やキリスト教では神を信じる儀式は洗礼と言われ「頭に水を注ぎ」ます。頭に注いだ水は 「流れ落ち」ます。「raku=落」「流=ryu=ru」です。シュメル語では「a=水」を「ru=ri=注ぐ、 注入する」ですので「aru=洗礼を受ける=神に捧げるのを誓う…

四年に一回来る年をなぜ閏年と言うのでしょうか

マラソンで勝利の栄冠を「elu=得る」のは「速く」走り「早く」ゴールに来た 人です。 「得る」は昔は「ulu=得る」と発音していました。何か仕事を頼んだ 場合に「出来る」のを「し得る=siulu」、為し「得る=ulu」と言います。ゴールに 「早く」来た人が…

互いに近づくと箍が外れる

近づく状態やくっ付いている状態を表す言葉には「taga」行音が含まれているようです。 「tagai=互い」に「近づく」と言います。互いの沖縄方言は「tage'=タゲー」です。細長い 板をくっ付けて酒などを入れる容器は樽です。樽を構成している板のくっ付き具…

その年に初めて収穫された物を「神に捧げる、ウサギン」と言うのは何故か

穀物は毎年一回は取れます。毎年収穫を祝うお祭りがあり、その年に初めて 獲れた穀物は「神に捧げ」ます。 名護方言では「usagin=ウサギン」と言います。 シュメル語では「U=上に」「SAG=頭」ですので、「頭の上に捧げる=神に献上する」 意味にも、「実…

好きとお気に入りと釘付け

好きな人は「ki=気」にいる、と言います。「好き=su-ki」の「ki」は気に入るの「ki」かもしれ ません。好きな物や人を見ると「kiki=喜々」とします。とても「喜び」ます。「ki」を強調したい時 には「kai」や「kei」の音に変化する場合もあります。「嬉し…

手癖が悪いと素適、嫌われると人と受け入れらる人の違いは同じ言葉を含みます

手癖が悪いのは「手のせい」ではありません。それは「足のせい」かもしれません。 はっきり言うと「考え方」が可笑しいので「頭のせい」、「心の持ち方のせい」です。 そう解釈すると「手癖が悪い」のは「手とは全然関係がない」と言い切っても良いと 考えら…

素適と思うのは手に入れたいです

なぜ「手に入れたい」ほど良い物、その人の側に座りたい人を「suteki=素適」と言うのでしょうか。 物を手に入れるにはその物に「手を近づける」必要があります。素適の素は素手の素と同じです「素手」は 「手=shu=su=素」で同じ意味の二カ国語を並べた言…

僅かに外れている

弓矢や射撃で的を「外す」時があります。的の「外側」に矢や弾が行くのが外すです。 「ほんの少し」でも的の「外側」に行くと「wazukani=僅かに」「外れた」と言います。 僅かには「少し外れた」と考えられます。「az=少し」、「kani=外側」です。そのよ…

腕を上げたら三番から五番の主軸に抜擢されるでしょう

野球では打撃の良くない人は下位打者と言われます。一番からは上位打線ですが、 三番から五番までは「shu zig=shu ziku=主軸」打者と言われます。 どんな選手でも 「腕を上げた」、力がついて「上手くなった」なら「手=腕=手腕」を買われて「shuzik= 主…