水を注ぐとさらけ出す

  ユダヤ教キリスト教では神を信じる儀式は洗礼と言われ「頭に水を注ぎ」ます。頭に注いだ水は
「流れ落ち」ます。「raku=落」「流=ryu=ru」です。シュメル語では「a=水」を「ru=ri=注ぐ、
注入する」ですので「aru=洗礼を受ける=神に捧げるのを誓う=神に奉仕する」になります。神の前に
「身を投げ出す」と言っても良いでしょう。身を「sarake=さらけ」出すと言い換えても良さそうです。
キリスト信者の教会では「懺悔」あります。その時は自分の事を「洗い浚い」「浚け出す」そうです。
外側から内側に物を「ire=入レ」ルのを名護方言では「irin=イリン」と言います。

シュメル語とアッカド語では次の通りです。

 ARU = 身を捧げる、貢献する、シュメル語、 英語では dedicate

A = 水、英語では water

RI = (試練などを)課す、押し付ける、注入する、英語では impose

 sara'ku    = 身を浚け出す、身を捧げる、アッカド語、 英語では dedicate