ナー・クーテン、ナレー、more

出来る事なら、もし可能ならは「もう少し」機会が
与えられたら、「もう少し」チャンスがあればに言い
換えても良いかもしれません。そう考えると「nar=ナー」
クーテンのナーと「nare'=ナレー=出来る事なら」の
ナレーと英語のmoreは同じ語源から派生した言葉と見な
して良さそうです。沖縄方言のナー・クーテンは「ナー
=nar=nr=mr=mor=more=もう」「少し=クーテン」
と分析できます。「ナレー=nare'=出来る事なら=もし
出来たら=If I have more chance, If possible」です。
「n」は「m」に変化しますのでナレーは「nr=nare=
mare=稀=more=mr」と変化します。新しいの新は
新潟の「ni'=新」で名護方言では「mi'=新=ミー」
ハンは新しいです。「もう少し」は「もう=少し「
かもしれません。「もう少し」と言いながら大量、
多量の物を要求したり時間を延ばしたり、何度も
同じ事を繰り返すよう要求するのは出来ないで
しょう。もう少しのもうは」もう=mor=more=
mr=mere」と変化すると見なせます。英語では
「mere=単なる=ほんの少し」です。「稀=
mare=非常に少ない=mr=mere=単なる」
ヒエログリフでは同じ表記になります。
日本の日は北京音では「ri」ですので「r=n」
です。「mr=mn」と推測できます。英語では
「mnt=minute=ほんの少し=分刻みの分」です。
「ほんの少し」づつだけ「減らす」のは「mns
minus=引く=マイナス」です。聴力を比べると
人間は他の動物)の「劣る」そうです。音が」
naru=鳴る」と動物には聞こえても人間には
聞こえ無い音も多いそうです。人間にも普通
の人よりは耳の良い人がいます。その人たち
は「音楽家」です。音を出す楽器を「nara=
鳴ら」して、その音の上手、下手を識別出来る
人が音楽家と思われます。サンシンを習う時には
教師にナー・クーテン低く、ナー・クーテン高く
と指示・注意されるのではないでしょうか。

シュメール語とアッカド語は次の通りです。

NAR = 音楽家、シュメール、英語では musician

narru = 音楽家アッカド語、シュメール語の NAR と同じ