溺れる物は藁をも掴む: 草鞋と童

草鞋と童は同じ音の「wara」を含んでいます。
「意味も同じか似ている」と考えるべきで
しょう。草鞋は「足に履く物」、「足裏に
接する物」です。一番「下」にあります。
「小学生」は児「童」と言います。「小さい
子供」が児童です。「wara」の音は「低、下、
小、短、接、狭」などを表すのが分ります。
「短期間に同じ場所、狭い場所を何度も行っ
たり来たりして忙しい様子」は大「わらわ=
warawa」と言います。沢山の人が集まり
大盛況ですが、それに応じて働く当事者は
「細かい」気配りで同じような「小さな」
動作を何度も繰り返し「狭い」場所で行い
ます。溺れるのは体全体が水中に「沈む」
事です。沈むのは「下への動き」です。
殆どの日本人は溺れる者は「藁=wara」
をも掴むと言う諺を知っています。
どんなに頑張っても「下に行く=しずむ
=溺れる」のを「wara」の音は表して
います。そこまで知っていた人は少ない
のではないでしょうか。私も今日気づき
ました。溺れる者は髪にも縋るでも同じ
意味になりますがそうしなかったのも
理由が有ったのですね。言葉の成り立ち
から考えると「warai=笑い」は怒って
いる人の荒れた気持を宥める、怒りを
「下げる、低下させる」効用がある
ようです。容器には水など一杯、満杯
にする事が出来ます。しかし底が
「ware=割れ」たら一滴も残らない
でしょう。水位が上から「下に」
一気に「落ちて」行き更に容器の
外に流れ出ます。水は「低い」所
へ流れます。「数えられる最小
単位」も「wara」行音で表される
と推測出来ます。私を表す日本語
には「warawa=わらわ」と「ware
=我」があります。


アッカド語では次の通りです。

wara'du = 下がる、下に行く、英語では to go down