三行半とアジクーターと舐めたらアカン
「三行半=mikdarihan」は「miktar」と「rihann=離反=離脱」か「アカン=いけない」の合成語
だと考えられます。「miktar=許容範囲」とはもう考えられない、「一心同体」からの「離反、離脱」
を強制的に宣言するのが「三行半」ですのでこの解釈はぴったりです。三行半を渡す時には愛情は
「ほとんど残っていない」、残っているとしても「ほんの僅か」です。英語の「little」に等しい状態
です。英語・トルコ語辞典「little」を入力すると「az-miktar=little=ほんの僅か、ほとんど無い」に
なっています。人間は甘いのは美味しいと考えます。甘いのは直ぐに口に入れたがります。簡単に口
に入れ易いです。とても味が濃くておいしい料理を沖縄方言では「az-ktar=aziku’tar=アジクーター」
と言います。簡単に料理できると思うと「軽視する」になります。甘く見るは「軽視する」事です。
「軽視するの否定」が「甘くみるな=甘くないぞ=アカン」です。「mi」は否定を表しますので
「az-mi-ktar=甘くない=ほんの僅かしか旨味成分が入っていない」になります。小豆の「az=小さい、
少ない」は英語では「little」です。蛇口を開けたら水が「流れ出る」でしょう。「ake-ru=開ける」
の名護方言は「akin=アキン」です。戸を「開ける」の名護方言は「akin=アキン」ですが、開けて下さい
は「akimi=アキミ」ソーレーになります。トルコ語の「流れる=akan miktar」の順序を入れ替えると
「miktar akan」になります。「k=h」ですので、「miktar akan=miktar ahan」になり「mikudarihan=
三下り半」と音と意味も殆ど同じになります。ほとんど何もしない人、無精者、怠け者は沖縄方言では
「few=フユー」ナーと言います。これは英語の「few=ほとんど何もない」と音も意味も似ていますが、
偶然でしょうか。
トルコ語では次の通りです。
miktar = 取引、範囲、量、体、
---------- 英語では deal, extent, deal, quantity, amount, body
akin (akim) = 流れる、英語では flow
akinti = 流れる、akin と同じ、英語では flow
akan miktar = 流れる(範囲の外に出る)、英語では flow, outflow
az miktar = 少し、ほんの僅か、ほとんど無い、英語では little, few