マーヤムガ:  養父と止む、さみしいとさびしい

  「苦しそうにしている」人に向って「何処が痛いの」と聞く場合があります。名護方言では
「mah=マー」「ヤム=病む=止む=養父=ヤブ=医者が必要な状態」ガ、と言います。体
が痛いと言う人に聞く「マーヤムガ」には「病気、機能停止、医者が要る」が含まれています。
肥前国風土記には「養父」は「止む」が変化した音だと書かれています。吠えていた犬が妊婦
を見たら吠えるのを止めた、鳴き声が「yam=yan=止ん」だ場所が「yabu=養父」の地名だと
書かれています。「止む=yamu=yabu=養父」の音の変化があったと言い伝えがあるそうです。
さみしいとさびしいは同じだと「m=b」の変化を私は良く取り上げますが、同じ変化を示すのに
風土記が書かれた頃は「止む=yamu=yabu=養父」が使われていたのですね。ヤブ医者でも
医者であるのは変りませんので「痛みを止める」事が出来ると期待出来ます。「止むと病む」は
同じ音です。二つに共通しているのは「機能停止」です。 働いていた器官が「機能停止」したら
「病気」になります。その部分が「痛くなる=病ムン」のは「止むを得ない」でしょう。病気が悪化
して「ヤブ」医者が治せないなら「死」が待ち受けています。 首里方言では「人が死ぬ、亡くなる」
のは「marsun=マースン」です。告別式の後では死者の悪霊が取り憑かないように、体を「清める」
為に「塩」を掛けます。塩の沖縄方言は「マース=ma'su」です。竹富方言では塩は「マーシュ=ma'sh」
です。

シュメール語とアッカド語は次の通りです。

 MAH   = 病気、シュメール語、英語では sick

 mars,u = 病気、アッカド語、英語では sick

 MASH   = 純粋な、純粋である状態、清められた状態、シュメール語
英語では pure, to be pure