ホテリの命とホオリの命

 茂在寅男氏の「日本語大漂流」のカヌーの語源の部分を読み、その本を最初から
読み直した方が良いと思い、最初から読み直しています。ホテリの命とホオリの命を
ギリシャ語と日本語の観点から見ていきたいと思います。沖縄は「ハーリー」という
行事が旧暦の5月4日、すなわち、「梅雨明け」に行われます。方言では「yukka=
yokka=4日」の日と言われています。 「ha'li'=ハーリー」は「海」で「haliu=爬竜」
舟競争と言う名の行事を行います。「海」に関係がある言葉には「hali」の音が含まれ
ています。陸上でも「水」がある場所には「holi=堀」があります。城は敵から攻撃を
防ぐ為に「holi=堀」を城の外に張り巡らします。ギリシャ語では「thalassa=海」です。
語頭の「t」と語尾の「ssa」の間に「hala」が含まれています。陸上は海上と比較する
と割と安全でしょうが、海上は「舟板一枚下は地獄」と言われます。とても「危険」な
場所です。そこでは「halan=波乱」万丈の世界が待ち受けています。「海辺」の地名
には東京の「halu=晴」海があります。晴海は同じ意味の二種類の言葉を並べて意味
を強調する言葉になっていると考えられます。即ち「晴=halu=海」です。江戸時代の
話題で有名な赤穂浪士赤穂藩は「hali=播」磨の国にあります。赤穂は「塩づくり」
で有名な藩です。「塩」は「海水」から作ります。それでは「ho-o-li=火照り」の命と
「ho-te-li=火遠里」の命の意味を、「海」と関係が深い「hala」行音との関連で考え
てみましょう。海が「hala」行音と関係があるのは「海」を「海原」と言うのでも分り
ます。「海=hala=bala=原」で「海原」も同じ意味の二種類の言葉を並べて意味を
強調している言葉になっています。 日本語には「手の中」、「手中にする」という
表現があります。「手の中」は「手=te=中」です。「holi=海=堀」の「te=手=中」
にいる「海の中、海中」にいるのが「ho-te-li=ホテリ」の命と考えられます。その名の
通り「海彦」です。ホオリの「遠」は「o」への当て字です。山に関係がある「獲物」は
「野獣」です。それには「o=尾」が付いています。一番後、最後にあるのが「尾」です。
「海から一番遠い場所」が「山」の「o-ne=尾根」です。「ho-o-li=火遠里」は「holi
=海」から「遠い」場所、「尾根」のある場所で働く人と考えられます。「ho-o-li=山彦」
になります。全ての動物は他の生物の「命を食べて生きている」のは前に述べた通りです。
sati=幸」は「satu=殺」と同じ音、同じ意味です。すなわち、「幸=sati=satu=殺」です。
獲物と思われるのが歩き回っている間は「幸」ではありません。「屠殺」して人間の食料
になった時が「幸」です。海の動物を「獲物」にして生活をしている人が「海幸彦」で、
山の動物を「獲物」にして生きている人が「山幸彦」です。英語では「salt=塩」です。
塩はラテン語由来の英語です。ラテン語ギリシャ語の間には「s → h」の対応があり
ます。「salt → halt」です。英語の「salt」も「海」と関係があるのが分ります。

 ギリシャ語では次の通りです。

 thalassa = 海