何が何だか分らない、何とも言えない

  同じ意味の二種類の言葉を並べて意味を強調するか新しい意味の言葉を作る日本語の作法
から考えると「何が何だか分らない」には「分る」か「分らない」かを表す言葉が二つ含まれていると
推測出来ます。何が分るか、お前は何も知らないと相手を非難する場合があります。「nani=分る」
と考えると何を「nam=何」と読んでも「nam=何=分る」になります。「何が何だか分らない」は
「分る、分る」の後に「否定」をくっ付けて「分らない」状態を強調しています。宗教はこの世の道理
を「弁える、分る」ようにする一種の方法です。 念仏に南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経など
「NAM」の音が入っているのは極めて自然と考えられます。「分り難い」「事柄や問題」は「nam=
難」問と言います。「nam=分り難い」と推測出来ます。「nam=分るか分らないかを表す音」への
当て字が「何、難、南無」だと理解出来ます。他の人に自分の「考え、意見」を問われた時にその
質問への返答を前もって「考えていない」時、「考えが纏っていない」時には「nam=何」とも言え
ないと言います。「何」の音をなぜ「nam=何」と読むのか今まで不思議に思っていましたが、その
理由がスメル語を学んで氷解しました。
 スメル語では次の通りです。

  MAM = 理解する事、会得する事、了解する事、思想、考え、計画、計画する、
英語では understanding, thought, planning, plan