ミーパギー、仇になる、仇討

 良い事をしようと試みたが「悪い」結果に終ると「ada=仇」になると言います。親の「ada=仇」討
は親の敵を「殺す」事です。「ada=悪い状態、悪い結果、死」と考えられます。着ている物を身ぐるみ
「hagu=剥ぐ」強盗に会うと「酷い目に会い」ます。剥ぐの名護方言は「pagun=パグン」です。「pagu=
pagun=パグン=悪い、酷い、死に至るかもしれない一大事」と考えられます。大勢の人が集まるお祭りで
「hagure=逸れ」と「酷い目に会う」のは迷子になった子が良く知っています。逸れたの名護方言は「pagri
=パグリ」タンです。強い動物は自分より弱い動物をむやみやたらに襲う訳ではありません。一番弱い物、
一番「不利な」状況に置かれた動物を襲います。即ち、群から「pagure=hagre=逸れ」た小さい動物を襲い
ます。動物も人間も食い「pagure=パグレ」たら「死に」ます。目の「病気に罹り機能が低下」して「目糞、
目ヤヌ」が出て「見えにくい」状態を表す名護方言は「目=ミー」「パガー=paga'」または「パギー=pagi'」
と言います。ソーセージは「屠畜した」肉を加工した食べ物です。 ソーセージの種類に「salami=サラミ」
ソーセージがあります。「死ぬ」のアッカド語は「mutu=mtu」です。 日本語でも「shale=シャレ」頭は
「死んだ人の頭蓋骨」です。虎は死んだら皮を残し、「偉人は死んだら名を残す」と言われます。この表現は
名護方言で表現すると「韻を含む表現になり」ますので、もっと面白いだけでなく「死を表す二種類の言葉を
並べた」形になっています。「死んでも」の名護方言は「sidim=sidin=シジン」です。スメル語では「死体=
dim」です。「偉人は死んだら名を残す」は名護方言では「イジンやシジン・名・残フン」になります。ここでは
偉人に相当する名護方言は考えず(思いつかず)にそのまま使いました。「死んでも」は「シジン」ですが、
あの世に「行っても」はアヌ・ユー(世)ニ「イジン」と言います。「死人=sinin」は元々は「sidim=シジン」
と読むべきだと考えられます。詩人は「シニン」と読むべきかもしれません。世の中の人に「認め」られた、
「認可」された人が詩人です。

 
 アッカド語とスメル語は次の通りです。

pagru = 死体、 座礁した、アッカド語、英語では corpse, wrecked

shalamtu = 死体、アッカド語、英語では corpse, wrecked

ADDA = 死体、座礁した、英語では corpse, wrecked

DIM = 死体、英語では corpse