行きは良い良い帰りは恐い: なぜそう言うか新しい解釈が見つかりました

 行きは良い良い帰りは恐いと言う歌詞があります。どうしてこんな珍しい歌詞があるのでしょう。
不思議には思っていましたがそれを口にする人もあまりいないし、それを取り上げても納得のいく
説明をした人がいるのも知りません。同じ意味の二種類の又は二カ国語を並べて新しい意味の言葉
を作る日本語の作法を当てはめると「行きは良い良い帰りは恐い」の意味が推測出来ます。帰る時
の道は「戻り道」です。戻り道はローマ字表記すると「modo-rimiti」です。「戻=rimiti=恐い=悪い事
が起きると予想される=危険=障害を受ける、怪我をさせられる可能性がある」と推測できます。
人間は「危害を受けて体の機能を失う」のを「恐れ」ます。食べた物を「戻す」のは健康状態が「悪い」
証拠です。一時的な場合もありますが、重体になる場合もあります。食中毒に罹ると「戻す」場合が
多いでしょう。「水=mizu」の沖縄方言は「mizi=ミジ」です。「u=i」の変化が分ります。戻り道の
「rimiti」は「rimutu」に変化しても同じです。「rimutu」の語順を入れ替えると「muturi → muduri=
modori=戻り」になります。 沖縄方言では「r」の音は脱落します。「muturi=mutui=motoi=もとい
=もう一度やり直し」になります。「良くない」場合は「もとい」と言われて繰り返し同じ事をするよう
命令されるでしょう。 悪い事件を引き起こして相手に損害を与えた場合は「弁償」を「moto=求」め
られるでしょう。「目には目を、歯には歯を」もって償いをしなさいと言われるかもしれません。この
諺の起源もメソポタミアです。アッカド語では「mutu=死」です。名護方言でも「亡くなってしまった」
は「ma'ti=マーチ」ネンと言います。沖縄の風習の一つ「鬼餅=ウニ・ムーチー」は人道を外れた事
をした、即ち悪事を働いた弟を姉が「殺す=mu'ti=muti」という話に由来します。 「muti=鞭」打って
「殺す」のが古代の風習だったようです。死にそうな状態は共通語では「matu=末」期と言います。死に
至らなくても「機能が働かない、駄目になった、麻痺した」状態は沢山あります。口の機能が失われたら
「話が出来ない、言葉がしゃべれない」です。英語では「mute=傷害の為に言葉をしゃべれない、無音の、
無言の、黙っている、唖、音を消すか弱める」があります。 亡くなった人間が声を出さないのは当然で
しょう。遠い所にいる人の言葉は聞き難いか全く聞こえない場合があります。 空間や時間など「遠い」
状態を表す言葉は英語では「remote=リモート」です。 今は科学が発達して距離的な場合はリモート・
コントロールはできますが、昔は「通い所」はリモート・コントロールは出来ませんでした。 今でも
「遠い=remote」「過去や未来」はコントロール出来ません。「remote=遠い、思うように操作出来ない、
動かすのが難しい、簡単には動かせない」と考えても良いでしょう。持て遊ぶの名護方言は「muta'=
ムター」ブンです。子供がオモチャを「持て遊び楽しんだ」後はそのオモチャを「壊す」場合が多いです。
「音」が出るオモチャなどは「音が出なくなっている」場合も考えられます。


 アッカド語では次の通りです。

  rimutu = 駄目になる、機能しなくなる、麻痺する
         英語では to be paralyzed, to suffer paralysis

  mutu = 死ぬ、死、英語では to die, death

  
  参考: 英語では次の通りです。

  mute = 音を消すか、低くした状態

  remote =(コントロールが難しい)遠い所、ずっと昔の、遠い将来、縁が薄い、