裂いて中身を曝け出す

人間は誰でも死んだら「shaleqo'be=saleko'be=サレコウベ」を「salasu=曝す」もの
と考えられていたようです。「shalaku=写楽」は内部の秘密の部分を写して「外部の者」
に「salake=曝け出し、見せて」楽しんでいる人にとって最高の雅号でしょう。これ以上
の「shale=シャレ」はないでしょう。「あ」行音は「否定」を表すようです。「お」も否定
を表すと考えられます。「中身」がはっきり分ると断定しますが、「中身」がはっきり
「見えない、分らない」時には「o-solaqu=恐らく」と表現します。「外側から見た限りでは
=外見だけで判断すると=外に曝け出されていないのではっきり分らないが=恐らく」と
理解して良いと考えられます。中身を調べないで「表面、外側」だけをちょっと調べた
だけで済ますような検査は「salatto=サラッと」と表現します。「wakatta=分った」と
「安請け合い」をする人は信じるなと言われます。そのような人は知ったかぶりの人が
多いようです。上辺だけを良く見せようとしますが、中身が充実していないので請け
負った事を実行できないようです。物事の分別は内と「外」の区別。「wakatu=分つ」事
から始まります。「kabatu=kawatu=川津」はその音から判断すると支配地、統治する
地域の一番外れか自国の統治地域の外側だと考えられます。田舎か山奥にある名前
だと想像できます。内側の人間が「外側」の人間から攻撃されると「kabatte=庇って」
やります。

 アッカド語では次の通りです。

shala’qu = 外側、英語では outside

sala’tu = 外側、英語では outside

warkatu = 外側、英語では outside

kabattu =外側、英語では outside