書いた字が間違っていたら消しゴムで消していました

 今はほとんど携帯電話かパソコンを使っていますので、書き「間違えた」字を
消しゴムで「kesu=消す」機会はほとんどありません。鉛筆で字を書いた世代や
今もそれを続けている地域の人は間違えた部分を消しゴムで「kesa=消さ」ないと
気が済まないでしょう。「kesa」行音は「間違い」と関係があります。子供の頃は
字を書く時に強く押して書きますので、そのように書かれた字を消す場合にも消し
ゴムを「強く押し」て消していました。「悪い事」をしたと疑われたか、悪事を働い
た場面を警察官に見られたら警察まで同行を求められて、そこで尋問を受けるで
しょう。その罪が重いと考えられると裁判にかけられるまで警察に「拘留」される
でしょう。 「買え」の首里方言は「ko’re=コーレー」ですが、私の若い頃には
「ho’re’=ホーレー」と言っていました。「k = h」です。 もし警察に「拘留
された」人が自分の夫だったら、その妻は自分の夫が夜になっても「帰って来ない、
何時までも見えない」のはどうしたのだろう。 何処に「消えた」のだろうと思う
でしょう。夫が悪い事をして警察に「押し留められている」と連絡があったら妻は
飛んで警察に行くでしょうが、拘留が解かれてお家に帰る途中に夫は「ヒステリー」
を起こした妻に酷く叱られるでしょう。普通の人と変わった事をする人は「間違う」
場合もあるのではないでしょうか。「heso=へそ」曲りは「曲がった事、他人と変っ
た事、間違った事」をする人と解釈すると「heso=曲がる=曲げられる」になります。
自分の意見を通せずに、自分の意見を曲げられるか、曲げて捉えられる、曲解された
ら「鬱屈、抑えられた、屈服された」気持になるのではないでしょうか。日本には
「kesen=気仙」沼という地名があり、底なし沼という言葉もあります。「気仙沼
は「底なし沼」で、その「沼の下に沈んで亡くなった」人が多かったのではないで
しょうか。「抑圧される、下の方に行く、沈んで見えなくなる、消される」と連想
されます。「抑圧される=大事にされない」と考えると別の言葉が浮かんで来ます。
会議や講義などのお話では大事な事は必ず話されますが、時間が限られていてもう
余り時間がないと思われたら「余り大事でない」部分は「haso=端折」リます。端
の部分、「hasi=端」っこ、の部分は「切り捨てられ」ます。「切り捨てられた」
と思われたら、人々は「kalu=軽」ク、取り扱われたと思い鬱屈した気持ち、抑圧
された気持ちになるのではないでしょうか。

 シュメル語では次の通りです。

heshe = 押し留める、拘留する、抑圧された、英語では detained, oppressed

hesh = hese に同じ

hash = hese に同じ

kalu = シュメル語の heshe と同じ、アッカド語