いつも元気、チャーガンジューの「チャ―」といつも見ている風景

 人間は死んだらお終い、どうしようも無いと言います。沖縄方言では「zhan=chan=チャン」・ナラン
と言います。何か良い対策は見つかるか見つからないか、「どうしようか、どうするか」は「zha=cha=
チャー」スガと言います。良い対策が「見つからない」状態が「チャンナラン」です。甲子園の高校野球
トーナメント形式ですので、負けるともうそのチームを見る事ができません。敗けて「見えなくなる」状態
を「zan=残」念と言います。 「見つからない、見えなくなる」状態を表す言葉に「zha」や「zan」が含ま
れています。「zan=zhan=zha=見つからない、見えなくなる」と考えられます。チャーガンジューは全く
逆の言葉「見えない」と「見える=ガンジュー=頑強」を対比させて「ガンジュー」を際立たせる良い方だと
思います。この手法は「多少」と言って「少し、少しは」を表すやり方と同じ方法でしょう。「zhan=chan=
チャン」としなさい、のチャンも「人のいない所、見えない所」でこそこそ動かないで、人前で「綺麗に見える、
立派に見える」ようにしなさい、という事だと理解できます。このような観点から言葉の意味を探ると分り易く
なります。「zhan=zan=残」酷は「見ておれない」ほど酷い仕打ちで、光る物体、太陽が「見えなくなった」
のにその光り、明りだけが「見える」状態が「zhan=zan=残」照、残光です。

シュメル語では次の通りです。

ZHA = 消え失せる、見えなくなる、(婉曲的に)死ぬ