何もせずに静かに家の中でじっとしている

 トルコ語が分かると日本語の「何もせずに静かに家の中でじっとしている」は実感の湧く表現
だと分かります。 何もせずにの「せず=sezu」、「静か=sizu-ka」など「sezu」や「sizu」の
入っている言葉はトルコ語にもあり日本語と同じ意味です。 英語では「keep still =動かずに
静かにじっとしている」です。英語・トルコ語辞典に「still=動かない」を入力すると語尾に
「siz」が付く言葉が出てきます。 トルコ語の語尾に「siz」が付く言葉は「否定」の「〜しない」
を表します。男と女が「接している」と「動かない」事はあり得ません。動かないようにするには
「接しない」ようにしたらいいです。日本語と外国語を比べるには「古語=文語」と外国語を比較
したら分り易いです。「接しない」は古語・文語では「接せず=sesezu」です。人間は「腹を決める
までは」「動かない」のかもしれません。「腹を決めたら」すぐ「行動を始める」のではないで
しょうか。日本語の「サ行」と「マ行」音に「az=小さい」がくっ付くと「小さい、否定の、逆の、
〜しない、悪い」を表す場合が多いようです。良い物と悪い物を「混ぜる=maze-ru」のは「拙い=
mazu-i」です。トルコ語でも「maz」や「mez」が語尾に来ると「拙い、不味い」状態を表します。
「口先だけの」約束は実行できるかどうか疑わしいです。実行できない場合が多いのではないで
しょうか。「責任感のない人」、無責任な人は厄介です。「何も仕事らしいは仕事はしない」のに
何時までも「辞めず=yamezu」に長の椅子に居座る人には人々は困ります。往生します。「詭弁
=kiben」を弄す人は「無責任極まりない、取り扱い難い」人かもしれません。

 トルコ語は次の通りです。

sessiz = じっとしている、動かない、英語では still

hareketsiz = じっとしている、動かない、英語では still

yapilamaz =  実行不可能な、実行できない、英語では impractical, impractic, infeasible

guvenilmez =  無責任な、責任感のない、英語では irresponsible

 注: 英語の「政府=government」の「govern」とトルコ語の「guven」と日本語の「首=kubi=gubi」
    と一方の大将の奥さんであった虞美人草の「虞美=gubi=guvi=首」は語源が同じと考えられ
    ます。guvenilmezは「長たり得ない、長として居るのは相応しくない」と理解できそうです。