世話を焼く、世話が焼ける、心配するとやられる

 なぜ世話を「焼く」とか、世話が「焼ける」と言うのでしょうか。「世話=sewa」をしている
人は「自分が焼かれる思いをしている、痛い目に会っている」とでも思っているのでしょうか。
「心配」の沖縄方言は「シワー=siwa’」です。大昔は心配するのを「sifa’ → siha’=シハ―」
スンと言っていたかもしれません。心配をすると「心が痛み」ます。そう考えると覚え易い外国語
があります。「手を焼く」のは「処置に困る」場合に使う表現です。誰でも火を近づけられたら、
「火傷」をしたら「痛い」思いをします。トルコ語では「cefa=痛み、痛い」です。英語の「pain」
です。 酷い「怪我」をしている人を見た遊び友達は誰に「やられたか=yarale-taka」と聞くでしょう。
酷く「痛められ」て、「傷を負う」と「やられる=yarale-ru」と表現します。「yarale=痛い目に会う、
傷を負う」と推測出来そうです。酷い目に会ってばかりいると「yarale=ヤラレッ」パナシと言います。
「yaralemakuru=ヤラレマクル」と言っても良いでしょう。

  トルコ語では次の通りです。

  cefa = 痛み、英語では pain

  yarali = 傷つける、傷つけられる、傷ついた、英語では hurt, wounded

  yaralamak = 痛み、苦痛、傷ついた、英語では pain, anguish, hurt