ヒヤミカチのミカチに付いて

 ヒヤミカチのミカチと関連ありそうな言葉を見てみましょう。「mikati」は「mikathi」から派生した
言葉だと考えると「mikasi」など「makasa」行音と「makata」行音は同じ状態を表す言葉と考えられます。
他人に仕事を「任す=makasu」、「委託=itaku」するとその時点からその業務を行う責任は他人に
「移り」ます。境界線の内側か外側か「線を引いて区別する」意味が「makatha 」行音には含まれている
と考えられます。人やその集団を敵か「mikata =味方」か「分ける」方法、「mikata =見方」が同じ音
で表されているのは偶然ではないでしょう。「makasu =任す」の名護方言は「makata」行音と「makaha」
で表されます。「makatha →makaha」と「makatha →makata」と二種類の変化が見られます。「任して
ごらん」は「makati=マカチ」メーで、「任しなさい」、「makase =任せ」は「makahe'=マカヘー」です。
ヒヤミカチのヒヤは一緒に行動しようの「サー」と同じでしょう。今まで寝ていた状態から起きて活動
する「境目の時間」に元気良く声を出して飛び起きようという「掛け声」が「ヒヤ」「ミカチ=mikati 」です
ので、すばらしい表現だと分ります。阿倍仲麻呂は「異国の」「唐」にいた時に故国の日本、特に
「mikasa=三笠」の山を思い出し歌っています。この「mikasa」は「異国から見た故国」と「三笠」の
「掛詞」になっているのが分ります。トーナメント形式の試合では「負けた=maketa」ら、そこで終り、
もう先へは進めません。勝者と敗者を区別する表現の一つが「勝った」か「負けた=maketa」か、です。
「makatha」行音は「強調、強勢、境目」を表す「ma」と「kata」又は「katha」行音の合成語かもしれ
ません。物事は「kata=片」が付いたら「終り」です。食事が「済んだら」後「片=kata」付けをします。
今までたくさんの物が「有り」あり、たくさんの人が「居た」のにほとんど「何も残っていない」時は
跡「形=kata」もないと言います。ある「境界線、境目」の前後が「激変」する状態を「kata」行音や
「makatha 」行音は表しています。「過ぎ去った日々」はもう返って来ません。「昔=mukasi」の事は
「変えられません」。「動かせない」事実となります。

 アッカド語トルコ語は次の通りです。

   etaqu =  通り過ぎる、渡す、英語では to go past, to pass by, to pass
            漢語の「委託」と音と意味が同じです。

   qatu = 終った、完成した、終る、アッカド語
         英語では finished, ended, completed, to finish,
                 to come to an end

   kati = 最後の、確定的な、固い、動かない、トルコ語
         英語では final, definite, hard, stiff