平和は一種の妄想かもしれない

戦争に明け暮れたアッカド
など古代メソポタミアの人たちは「平和」は「一種の妄想」と考えていたかもしれません。「天、あの世、涅槃」は「永眠している所、動きがない時、静かな所、平和な所」と推測されます。「shamu」の音が入っている言葉で表されると推測されます。生きている人間にとって
「地上での平和」は望ましい事
ですが、「天=shamu=あの世
=永眠=一種の平和」へ逝く事
は良くない事です。「あの世=
shamu」「ではない=否定=la
」この世での「静けさ、動きがない=平和」は「shalamu=
平和」と人間は考えたと推測されます。