まんじりとしない、二足の草鞋、途方に暮れる

まんじりとしないのは巧く
行かない時でしょう。途方に
暮れている時ででしょう。前
の日にぐっすり寝た人と一睡も
していない人がマラソン競争を
したら結果は分り切った事で聞く
までもないでしょう。「manzili
=マンジリ」ともしないは「二足
の草鞋を履いている」状態と同じ
で巧く行かないでしょう。「min
=man=二足=二=良くない状態
を表す時に使われる数」と推測でき
ます。二つの目玉は沖縄方言では
「min=ミン」タマーですが、
目の大きい人を「からかう」
時にも使います。マンジリは
「manzili=minzili=mezili=目尻」
と推測できます。マンジリを漢字
の当て字で書きたい時には目尻の
当て字が良いでしょう。マンジリ
ともしない時には目尻が吊り上って
いるかもしれません。本妻は夫に
二号さんがいると知った日の夜は
マンジリとも出来ないでしょう。
途方に暮れるでしょう。普通の人は
「足は右足と左足」があります。
「両」足あります。「足は二つ」
あるのが普通です。二つあるのは
沖縄方言の「min=ミン」タマーの
ように「min」の音が含まれた言葉
で表されると推測できます。「足」
を表す言葉に「min=man」が含ま
れると推測できます。普通の足は
歩行に便利なように出来ています。
嶺のように二つに分れている、或は
ゴルフクラブのように反っている
なら歩行が難しいでしょう。内反足
をインターネットの画面で見ると
先天性内反足の人はそのままでは
歩行が困難なようです。可能か
不可能かに分ける二分法もあり
ます。昔は足が先天性内反足だった
なら歩行困難だったでしょう。対応策
が無い、どうしようもない状態も二分法
で表せます。「manzili=マンジリ」とも
しないのは「不可能な事、どうしようも
ない事が予測される時」ではないでしょうか。
「全能の神」を表す印が「manz=卍」と考え
られます。その「la=否定」が「manzila=全能
ではない、全く不可能」になるのではないで
しょうか。



シュメール語では次の通りです。


MANZILA = 足、嶺のように反った足、内反足、英語では foot, club foot