苦海と極端

苦海と極端は同じ状態を別の言葉
で表現しているのかもしれません。
この世が、「終った」らあの世に
行きます。この世の「ku=区」切り、
「境界線を越す」事が「ku=苦」海
「入り」です。昔の人は海を突き進むと
最後は滝のようになっていてそこで
引き返さないと奈落の底に「落ちる」
と考えていたと言われます。 地球は
丸いとは考えられていなかったのです。
海の先の端っこが「極端」な場所です。
「一番端っこ、終り、区切り」になる
と自然界の物は「うみ」「落ち」ます。
名護方言では「熟する」状態を「umu
=膿ム」ンと言います。傷も「膿」
を持つ頃は傷口が「割れて」膿が
流れ出ます。胎児も月が「満ちる」
と「産み」ます。この世に「生まれ」
出て「来る」のが自然現象です。
この世に入って「来る」、視界に
入って来る、目の前に現れるのも前
の段階を「終えた」事を示しています。
即ち「区切り 、終り、落る」状態を
表す言葉には「ku=区、来、苦」の
音が含まれているのに気づきます。
赤ちゃんが生れるのを「生れ落る」
とも言います。「落る」、落下して
横たわる状態にして、自分の手に
「入れる」のが「刈り入れ、刈り
取り」です。これらの状態を表す
音は「arrab, erab, erbu, abu」
などの音でも表されるようです。
高い所から「落る」のは「abu=危」
ないです。海は舟板板一枚下は「地獄」
と言われます。「溺れたら危ない」所です。
溺れるの名護方言は「abu=アブ」キン
です。

シュメール語とアッカド語は次の通りです。

KU = 来る、入って来る、到着する、落ちる、没する(日没など)、シュメール語
英語では to to to enter, to arrive, to come in, to go in, to set (sun etc.)

KUR = KU と同じ、シュメール語

ere'bu = 来る、入って来る、到着する、落る、没する、アッカド語
シュメール語の KU, KUR と同じ

AB = 海、英語では sea