知識・知恵と舌禍事件、関の山との関係

   「zekka=舌禍」事件を起こす輩は決まっている
ようです。 ある事柄を十分「理解していない」のに
知ったかぶりをする人と思われます。  私が「理解
出来るのはそこまで、それより難しくなると分らない」
と言う時に、ここまでが理解できる「限度」「seki=
関」の山と言います。関の山を越す出来事が起きると
対処出来ません。「困った事態」になります。 その
ような状態になると名護方言では「山=ヤマー」キッ
チャンと言います。共通語に直訳すると「山を蹴った」
になります。山を蹴ってもビクともしないでしょう。
何も得る物はないでしょう。物事を理解出来るかどう
かは「頭」に知識を貯えているかどうかで決まります。
「頭脳の許容能力」により知識の差が生じるようです。
「zu=頭」脳の良い人はそうでない人を指「図=zu」
します。 自分が他人より知識が豊富だと思っていた
のに、論争相手が簡単に負けない時には相手を相当強
い、「zu=図」太いと言います。図太いの図は「知識」
を表すと推測して良いでしょう。 「関の山」の語源は
トルコ語由来と考えた方が語源由来辞典の解説よりは
ずっと真実に近いと私は思っています。関の音は大関
のように「zeki」に変化します。 これは「正しいか
正しくないか」、「zeka=是か」非かを判断できるの
は「知識、知性」でしょう。物事の「判断力」がなく
て「zeka=是か」非かを判断したら大変な事になりま
す。判断力が乏しい人を組織の長にすると「zekka=
舌禍」事件を引き起こす事は予想出来るでしょう。



 シュメール語とトルコ語は次の通りです。



 zeka = 知性、理解力、精神上の、トルコ語、英語では intellect, mental


 zeki  = 利口な、賢い、トルコ語、英語では intelligent, clever


 ZU = 知る、知っている、スメル語、英語では to know