足手纏いと遊んで暮らす

 この世に「遊んで」暮らせる人はいないと考えられます。 「遊んで暮らせる人がいるように見える」
事は有るでしょう。もしいるならばその人の「手足となって」その人の為に「只で働く」人がいるから
でしょう。「遊んで」の名護方言は「a shi di=アシディ」です。アシディはスメル語では「手を充分
押し伸ばして」思い切り動く、働く事ですので、普通の人より収入が多いでしょう。「若い時に多いに
働いて沢山の蓄えがあり、老後はゆっくり暮らしている人は「アシディ」暮らしているように見えるで
しょう。「備え有れば憂い無し」と言います。「万一の時に備えて準備万端」の状態が「アシディ」と
考えられます。相撲の体制に例えると横綱が他の力士に「いつでも何処からでも掛かって来い」と
言える状態が「アシディ」と考えられます。そういう「戦闘態勢の準備ができていない人が戦闘集団
の中にいる」と「a shi de=足手」纏いになるでしょう。 足手纏いに「足」の漢字を当てるのは拙い
のではないでしょうか。

 スメル語では次の通りです。

  A SHU DU = 〜を備えている、〜を準備して、〜がある、英語では to equip (oneself perfectly)

  A     = 腕、英語では arm

SHU  = 手、英語では hand

DU = 押す、英語では push