ミジ・パラへーと出しゃばる

  ある物の中、範囲から人や物が「外に出る」状態を表す言葉には「para」の音、
「pasa」に音または「buru=baru=haru=張る」の音が含まれるようです。東と西
に出しゃ張った所があり、その両翼に囲まれた「凹んだ場所」が「yona-baru=与那原」
です。この名前を分析すると「yona=凹んだ」所で「baru=張る=出しゃ張った」所だ
と推測できます。 与那原の東には知念半島が「突き出て」いて、西には中城湾まで、
かなり広い突き出た部分があり、与那原は中城湾の南の根っこの部分に当ります。与那原
のすぐ隣には馬天港があります。「yona=凹んだ所」「baru=突き出て張った所」と解釈
すると与那原はまさしくその名の通りの地名です。それだけではありません。与那原の町
は低い所にありますが、その後ろには「急に」「突き出た所=丘」があります。「出る」、
「出払う」のはある一定の地域の「外へ出る」事です。そのような状態を表す言葉に「水道
の水が出る」状態を表す言葉が有ります。名護方言では「水道の栓を開けて水を外へ出し
なさい」は水道の「水=ミジ」「パラへ=parahe'」と言います。首里方言では「ハラシェー=
harashe’」になります。奴隷は持ち主の「許可」を得ないと「外出できません」でした。
「逃亡」の恐れがあるからです。奴隷「解放」後は何処へでも「出ていける」ようになり
ましたが、元の持ち主が今度は雇用者となった以前の奴隷を雇う場合も多かったようです。
「人間を外にだす、解放する」場合も「水道の水」を「外に出す、流す」のも「外に出て行く
現象」を捉えると同じです。同じ音または似た音の言葉で表現される可能性があります。
人間の感情が内に籠るとそれを「外に出す、発散する」場合があります。それが悪い感情
なら恨みを「晴らす=harasu」と言います。出しゃ張るの「baru」は「burru=bur」と表記
できると考えられます。即ち「出しゃ=張る=baru=bur」で「外に出る」状態を表す二種類
の言葉を並べた言葉が出しゃ張ると考えられます。

 アッカド語とスメル語では次の通りです。

 pasha'ru = 外に出す、放す、自由にする、許す、アッカド語
----------- 英語では to release, to free, to forgive

BUR = 外に出す、放す、自由にする、外に広がる、スメル語、
        アッカド語の parasu と同じ
        英語では to release, to free, to spread out