くすねる、燻る、腐る、草、クサミクン


   「kusa=草」は一か所にしがみ付いて動きません。動きの「suku=少」ないのが動物に比べた場合
    の草木の特徴です。 草の生き方を(写真で)見ると、どんな「悪い」状況でも与えられた環境で
   「一所懸命」に生きているなと誰でも感じるでしょう。


  去年の10月3日に「くすねる、燻ると腐る」について書きました。この「kusu」とそれを逆にした
「suku」の音の意味とその音を含む言葉を見てみたいと思います。「kusu」や「suku」などの音は「悪い」
状態を表す場合が多いと述べました。人間は「suku=少」ない、のも「悪い」と思う傾向があるようです。
どんな物でも排出物は「kuso=糞」と言われますが、鼻糞や耳糞は臭くありません。 鼻や耳の穴
が「塞がる」と鼻糞や耳糞の通り道が「狭く」なります。そうなるとその「狭く」「chi'-saku=小さく」
なった通り道を大きくしようとします。狭く小さくなるのを漢語では狭「窄=saku」と言います。その
「ho-soku=細く」なった通り道を大きくしようとする動作を「ho-ziku=穿」る、と言います。「ziku=
siku=狭くて細く小さく」なった状態を元の大きな通り道にしようと「ho=補」修、補強する動作です。
髪の「乱れ」を「整えて綺麗にする」それ専用の道具があります。日本語では「kusi=櫛」と言います。
人の「あら捜し」をするのは「良くない、悪い」態度です。 その態度も「ho-ziku=穿」る、と言います。
草は芽が出た所で一生を過ごします。一所懸命に生きているのが良く分ります。「kusa=草」のように
一か所に縛られた状態で「身動き出来ない」、思うように「物事を動かせない」、「処理出来ない」と人間
は「怒る」ようになっているようです。そのような状態になると名護方言では「kusa=クサ」ミクンと言い
ます。そのような時には草の生き様が目に浮かび、我慢せよと言う声も聞こえるような気がします。

 トルコ語では次の通りです。

 kusur = 邪悪、失敗、英語では vice, failure