マジャ・ガネクと真謝:  真喜屋の語源に付いて

  真喜屋の古い呼称は「magir=マジャ」「カネク=Kane-ku」だという事を真喜屋出身の同期生
に1週間ほど前の日曜日に初めて 教えて貰いました。沖縄の地名の兼久の「kane=兼」は住宅地
または耕作地の「外側」で「海辺の砂地」です。 海辺には「漁をしている人」がかなりいます。
そこには「船の繋留場所」が有ったのではないでしょうか。 もしそうならば真喜屋近辺はとても
良い「漁場」か良い「船着場」なのかもしれません。「maegima=前島」も良い船着場または船の
繋留地だったかもしれません。真謝をインターネットで調べるとは沖縄の宮古島の「真謝」「漁港」
が出て来ました。「真謝=majya=magia=magir」の地名は「港、船の出入りする所」と関係がある
のが分ります。島を船に例えると「南部」は「船尾」に相当します。尻尾の沖縄方言は「gyu=dyu=
du=ジュー」です。沖縄の南部は「simagiri=simadiri=島尻」で、九州の南には「simagyu=simadu
=島津」藩があります。 多くの日本人はとても古い時代に別の地域、即ち南から「北上して」沖縄
経由で日本本土に来たと仮定すると、日本語の「magir」の音は「南、船尾」と関係がありそうです。
舟で北上すると最初に目に付くのが、「島の南部」で舟に例えると「船尾」です。名護市の真喜屋は
「船着き場、漁港」や「漁場」と関係がある地名ではないでしょうか。体の中心は臍です。内臓が
ある体の一番端っこは「kata=肩」です。ギリシャ語の「kata」は「流れ下る」意味があります。流れ
去った端っこが「片隅」の「kata」です。 「kata」やその変化形の「gata」が付く地名は島の北側の海辺
の地名に付きます。名護は島尻から見たら北側です。今話題の辺野古の手前の遠浅は「kata-baru=
カタバル」と言います。九州の北側には「ha-kata=博多」があります。新潟や山形も北国です。青森
には下北半島があります。私はそこは本州という島の北側ですので、島「北=kita」が変化した言葉
だと思います。南から北上して来た民族にとっては行き着いた島の「kata=片」隅は「北=kita」です。
即ち「kata=kita」です。

 スメル語とギリシャ語では次の通りです。


 MA'EGIR = 船尾、スメル語、英語では stern, ship's back

 SIMDA  = (航海の時などの)目印、(自分の持物として、商品として)刻印する、ブランド、スメル語
        英語では branding mark, brand

kata = 流れ下る、古典ギリシャ語、英語では flow down

kato = 下、現代ギリシャ語、英語では down

kata meros = 別れる、側の、現代ギリシャ語、英語では apart, aside