お手伝いにアガリます: なぜ行くの代りにアガルと言うのでしょうか

 お手伝いをしに行きますと言う代りにお手伝いに「agali=アガリ」マスと言う場合があります。
どうしてでしょうか。それは「腕前の良い」人が「腕=手」を貸すからだと推測できます。普通の
人でも手を貸す人が多ければ多いほど「助かる」からでしょう。「大勢の手や腕」を「一つの大き
な手や腕」と見なすと「絶大な手腕」を発揮すると考えられます。「手伝う、助ける」のを「手を
貸す」と言います。「大勢の手と腕、大きい手や腕」を貸したら「大助かり」でしょう。大勢の手
と腕、大きな手と腕でお手伝いに「agalu=アガル」と能力が大いに「agali=上がり」ます。「大
いに助かる」「大助かり」になると見なして良さそうです。一人でも「上手になる」と能率が「上り」
ます。そういう人には「腕が上がった」と言います。普通の人でも沢山集まり、大勢の人が「手を
貸す=助ける」と能率が「上がる=agalu」のは当然でしょう。

 シュメル語では次の通りです。

  A GAL = 助ける、英語では help

  A = 腕、英語では arm

   GAL = 動詞語尾?となっていますが、シュメル語の別の GAL、下に取り上げた GALが
        適切だと私は思っています。
GAL  = 大きい(大柄は「大=GALA」でしょう)、英語では big, large