ウムサンと鞣す: 持つか持たないかは消化能力、モツが機能しているかどうかで決まるようです

  勿体無いは「mutu=mot=勿=体無い=体が無い=死」ですので、「持たない=motanai=motane'=
間もなく死ぬ」になります。何も残さないで死ぬと「犬死」と言いますが「去ぬ=死=根の国に去る」と
考えられます。沖縄方言では「根=ne=ni'=ニー」です。根の国に「去ぬ」のに「犬」の当て字を使う
のは「motte=モッテ」ノ他です。許されるべきではないでしょう。犬死を見ると日本人の漢字の使用法
が如何にデタラメか分るでしょう。人間が死にそうになると「matu=末」期と言います。もう「motanu=
持たぬ」や「matu=末」など「mata」行音は「死」に関係があるのが分ります。「持たんや持たぬ」の
名護方言「mutan=ムタン」です。「無駄死に」は「muda=muta=死」で、同じ意味の二カ国語を並べて
新しい意味の日本語を作りだしていますが、元々は単なる死を意味する言葉だったと考えられます。
「無い」状態 、「否定」を表す場合ほとんどの言語で「na」行音が含まれているようです。「面白い
=umusan=umush」の「u」を「na」に変えると意味が逆転すると考えられます。「umush=素晴らしい、
面白い、最高の」動物と考えられる人間と他の動物が違うのは手と口の働きです。動物の観点から人間
の動作を見ると手と口の働きは似ています。手と口は「物を掴む」事が出来ます。シュメル語を学んで
いて感じた事は英語の「hand=手」の語尾の「d 」は「du」だったのではないか気づく事です。先生は
元々は「手取り足取り教える」人 「模範を示す人」と考えられます。動物と人間の手の使い方の違い
ほど「面白い」現象はないのかもしれません。「umush=素晴らしい、面白い、最高の、上の」状態の
一部を表す「u」が、否定の「na」に変ると悲惨な「namush=死」に変ります。死んだ動物の「皮」は
「nameshi=鞣し」革に加工してから靴や鞄作ります。

 アッカド語とシュメル語は次の通りです。

  mutu   = 死、アッカド語、英語では death

mu'ta'nu = 死、急性伝染病 短期間で多くの人が死ぬ病気、アッカド語、英語では death epidemic

  UMUSH = 最高の、素晴らしい、目立つ、高尚な、高貴な、シュメル語
         英語では supreme, splendid, outstanding, exalt

NAMUSH = (悲惨な状態)死、シュメル語、アッカド語の mutu と同じ、英語では death