他人の問題に頭を突っ込む、仲間より先んじると怒られる

 普通の人間は普通の頭の長さをしています。「馬」のような「長い頭」はしていません。
もし他人の頭を「馬のような長い頭」と感じたならば、その他人が自分以外の他人の問題
に「頭を突っ込んだ」時でしょう。他人がそのような事をしたら仲間の皆は「馬鹿な奴」が
いる、他人の問題に頭を突っ込みやがってと「怒る」でしょう。 仲間に「先駆け」をされ
たら、「sakin gi=先んじ」られたら、ほとんどの人は「怒る」ようです。 馬の勝負は
「鼻の差=頭の長さ」で決まるからでしょうか。「怒る」のを「sakki=殺気」立つとも言い
ます。人間は寝ている時には体の「長さ」、「身長」は気にしません。身長を気にする
のは「立っている」時です。そう考えると「立つ=長い」ですので、「立身」です。自分達
より早く「立身出世」をする、「先駆ける」、「saki-n gid=saki-n gir=先んじる」人に対して
「僻み」をもつ、「怒る」人が多いのは人情かもしれません。「d → r」の変化は良く見られ
ます。 「殺気立つ」時には目「尻=giri=gidi」が釣りあがり「長く」なっているでしょう。
日焼けをするのは短時間ではできません。「長い」時間をかけて日光を浴びると「ジリジリ
=giri giri」と焼けてきます。人間は「長い間」待たされると「いらいら」します。「gida=
gira=じら」されていると感じます。「gidi=giri=ジリジリ=焼く=妬く=嫉妬=苛々=
怒る」は同じ現象と捉えられているようです。「長い」間またされた上に出来上がりが悪いと
「怒り」ます。「gida-nda=地団太」を踏む思いがするでしょう。「gida-i=gira-i=地雷」
を踏んだら「怒る」前に殺されるかもしれません。語源由来辞典の「地団太を踏む」はかなり
核心に近い説明ですが、補足が必要なようです。「長い」のは「長ったらしい」とも言います。
すなわち「長い=たら」です。「短ったらしい」という表現はありません。「踏鞴=たたら」を
踏んで送った風で鉄を作るには「長い」時間がかかるでしょう。その間にその作業に携わる
人々は「長い」間「たらたら」と汗を「流し」ているでしょう。その時間を「長し」と感じている
のではないでしょうか。日本語には「垂れ流し」と言う言葉もあります。「tara」行音は「流れる」
のと関係があります。「水を垂れ流す」川は「長い」のが普通です。そう考えると「たたら」を使い
風を送るのは「たらたら」と長い間「たれ=たら=流し=長し=gid=gir」になります。「たたら」
は「多+たら→多+長ったらしい=多長大=多大」な時間になるでしょう。「gida-tara=地踏鞴」
はシュメル語の「gida=長い」と日本語の「長ったらしい」の「たら」を並べて作った熟語であるのが
分ります。 シュメル語の「GID」はシュメル語やアッカド語から分かれた言葉であるユダヤ人の
言葉、「ヘブル=ヒブリュー=Hebrew」にも当然含まれています。旧約聖書に出てくる「ギデオン」
は「勇者」です。「勇敢で優れた人」は「長」になります。仲間から「長、長者」を選びその人が
軍隊などを指揮します。そのような人を「GID=長い」の入った言葉で表すのは当然でしょう。
国王を守る兵隊は兵隊の中から選ばれた「勇敢な」兵隊でしょう。彼らは「長い」杖状の銃を捧げ
持って城門に立っています。彼らは「gid-jyo'=儀仗」と言いますが、日本語の共通語と沖縄方言を
考慮に入れると「儀城兵」や「儀門兵」でも良いでしょう。沖縄方言では「jyo'=ジョー=門」です。
シュメル語を意識した表記では「長杖兵」とすべきでしょう。

 シュメル語では次の通りです。

SAG = 頭、英語では head

SAGKI = 額、頭の前の部分、前頭葉の部分、英語では forehead

GID = 長い、英語では long

SAGKI GID = 怒っている、英語では angry