野球では次の球はボールと読んで見送る時があります

  目を使った動作が「見送る=mi-oku-lu」です。目は本を「読む」時にも使いますが、
状況を判断する時にも使います。遠くからでも他人動きを「読める」人は目が良いだけ
でなく、遠く離れた人が何を言っているか、その「唇の動き」を「読める」のかもしれ
ません。唇の動きを読める技術を「読唇術」といいます。人の表情は顔、特に「目」に
現れますので、「目」を見たら他人の心の中、心の「奥底=oku-soko」が「読める」場合
が多いようです。読唇術という言葉があって「読眼術」という言葉がないのは「目の動き
で相手の心を読む」のは当たり前の事、普通の事だからかもしれません。以上の事を
考慮に入れると「oku-lu」や「oku」は「目、見る」と関係がありそうだと分ります。本を
「読む」には「目」を使いますので、「okulu」や「oku」の字は「読む」とも関係がありそう
です。なぜ人間は異性に流し目を「送る=oku-lu」のでしょうか。 それは私の気持を
「読み」取って下さいと暗示している事になります。ここでも「送り」の漢字を使ってい
ますが、流し目を送るのは、意味上は、私の気持を「読め、読んで」になります。流し目
を送り目と表現しても良さそうです。「oku-li-me=送り目」をする時は私の考えている事、
私の思いを「読み取って下さい」という事になります。

ラテン語トルコ語は次の通りです。

oculus = 目、 英語では eye

okumak = 読む、 英語では read