居る、折る、織る、心がお留守なら何事も成し遂げられない

 計画を実行できないと分るとオロオロする人が「います」。「いる」を「おる」とも
言います。いつも「お留守=olusu」なら何を頼んでも「やってくれない」のではない
でしょうか。「olusu」の「su」は「否定」を表す場合がありそうです。「居る=olu」
がそこに居るなら「olusu=お留守=居らない」ですので、「su」が否定を表す可能性が
あります。「素焼き=su-yaki」には「普通の焼き物ではない」という意味が含まれて
いるのではないでしょうか。ひょっとしたら「否定」を表すトルコ語の「suz」の「z」
が抜け落ちた言葉が「お留守=olu-su」の「su」かもしれません。トルコ語式に「居る
=olu」を否定すると「olusuzu」になります。トルコ語の「実現不能な、実現が難しい」
状態を表す言葉と良く似ています。「ola」行音は「落ち着きのない」心理状態を表す
言葉かもしれません。「注意散漫」な状態で「物事を成し遂げるのは難しい」でしょう。
心がそこに無く、注意が散漫な状態を表す「お留守」は「実行不可能な」状態を表して
いるのかもしれません。否定の「suz」や「su」が無いと「肯定」になります。英語の
「right=右」には「正しい、正義」の意味もあります。人が居り、心がそこに有り、
やることが正しいならば「オル・正しい」と表現できそうです。英語の「all right=
OK=やって良いよ」のように賛成してくれて、反対する人が少なければ仕事に掛り易く
て実行し易いのかもしれません。
 
トルコ語では次の通りです。

ol = 居る、存在する、英語では being

ol = 折る (植物は死ぬ)英語では die, died, pass away

olus = 居る、存在する、織の、ol と同じ

英語では being, existence, composed of, consist of

olur = 可能な、英語では possible

olursuz = 実行不能な、実現が難しい、英語では infeasible