愚痴を零すのは悪い待遇を受けているからでしょう

 とても難しい、「し辛い=sizu-lai」と考えられる事をやるように押し付けられたら
愚痴を零す人もいるでしょう。愚痴を零すのは「酷い待遇、酷い仕打ち」を受けている
時でしょうが、愚痴を零すのは「悪い」態度だと考えられます。そのように考えると、
「愚痴を零す」や「不可能に近い」「し辛い」を表す言葉には「sizu」の音が含まれる
可能性が高いです。日本では「契約をする」時には「印鑑=inkan=imkan」を押します。
その内容が「おかしい、酷い」と思ったら印鑑を押す人はいないでしょう。「印鑑を押
せない状態」は「酷い内容」だと考えて良さそうです。強い人は良い待遇を受けます。
逆に「弱い」人は「悪い」待遇を受けるでしょう。「救いようもないほど悪い」状態を
表す言葉にも「siz」が含まれていてもおかしくありません。競争が厳しいスポーツ界
では浮き「沈み=sizu-mi」が付き物です。「弱い」者は「助けられる事も無く」「沈んで
=sizu-nde」いきます。「弱い」者に「期待する」者は少ないようです。「望みがない」
「救いようがない」と判断されるからでしょう。「弱い」人は「強い」人に「やられっ
ぱなし」で「損をしている」場合が多いと考えられます。「張り切っている」人は「良く
動き」ます。そうでない人は「動きが少ない」、「静か=sizu-ka」です。「腹を決めた」
人も「動きが早い」です。そうでない人は「決して動かない」でしょう。

 トルコ語では次の通りです。

 imkansiz = 不可能な、とてもし辛い、英語では impossible

 aciz = 助けられない、救いがない、英語では helpless

 yararsiz = 役立たず、使い物にならない、英語では useless

 hareketsiz = 活動的でない、じっとしている、静かな、
           英語では inactive, motionless, still