河童を見た事がありますか

 今でも雨の日には「合羽=kappa」を「被=kabu」る人がいます。かっぱは「外を覆う物」です
ので、合羽を着ていると中に着ている服が「見えなく」なります。水の中に住んでいると言われる
「河童=kappa 」を「見た人がいない」のは当然でしょう。 「見えない物、想像上の動物」が
「河童=kappa」です。他人の物でも自分の物にして自分の目の前に置き「眺めて」置きたいと思う
場合に他人の物を「かっぱらう=kappa-rau」人もいます。自分の物を他人に「かっぱ=kappa」らわれ
たら、それはもう自分の所にありませんので「見る事はできません」。ほとんどの人は「他人に見られ
たくない、知られたくない」何かがあるのではないでしょうか。自分が考えている事で他人には知られ
たくないと思っている事を、第三者が「見破る」のが「看破=kanpa」や「喝破=kappa」でしょう。
「appa」が含まれている言葉は「見る」と関係があるのが分ります。前に抱かれた赤ちゃんと背中に
負われている赤ちゃんとどちらが赤ちゃんの顔や姿が「良く見えるか」比較すると、背中に負われて
いる赤ちゃんの姿が「良く見える」のではないでしょうか。背中に赤ちゃんを背負う事を日本語では
「オッパ=oppa」と言います。ちゃんと「apa」行音が含まれています。女の人は結婚後は肌を別の男
に見せる事はありませんが、例外があります。それは赤ちゃんが出来てお乳を赤ちゃんに上げる時です。
授乳の時に「肌が見える」部分を「おっぱい=oppai」と表現するのは理に適っています。「もっと」
持っているだろう。もっと「出して見せろ」、「もっと俺に寄こせ」と言う時に名護方言では「nappin
=ナッピン」と言います。名護方言には沖縄の他の地域では使われない珍しい方言も幾つかあります。
それは「すまし汁=具の入っていない汁」を「miya’=ミャー」シルと言い、事実が含まれていない事、
嘘を「miya’=ミャー」「クトゥ=事」と言う事です。濃い汁、旨味成分の詰まっている汁は「底まで
見えない」でしょうが、何も入っていない汁、旨味成分の少ない汁は底まで「見える」でしょう。その
ような汁は「淡い」味です。 名護方言では「apa’=アパー」ハンと言います。「apa’」の音は
「底まで見える」状態を良く表していると思います。英語の「open=開ける、開けて中が見えるように
する」にも「apa」行音の「ope」が入っています。

アッカド語では次の通りです。

 apu = 現れる、見える、英語では to appear, to become visible

wapu = apu と同じ

naputu' = 開けて中が見えるようにする道具、鍵、オープナー、
        英語では key, opener