割符、ワッペン、侘しく見えると脱皮

昔の貿易では国と国の間で貿易の「許可を与えられた者」だけが貿易に従事できました。その証明書
が「wappu=割符」でした。一つの板に文字を書き込んだ物を「二つに割って」二か国の当事者が夫々
「片方だけ」を持つようにしました。自分の持っている「wappu」を「見せる」と相手国の当事者は
自分の割符と合わせてそれが一致すると自国にやって来たその舟は正式な貿易船と「見なした」のです。
御朱印船貿易の「御朱印」が「wappu =割符」に相当します。開けゴマの「合言葉」と同じ考えです。
一種の「暗号」です。「鍵と錠前」の関係です。遺産相続では亡くなった方の「DNAと一致した人」が
相続の権利があると「見なされる」のが一般的です。その人たちの間で遺産が「配分」されます。 
何かの行事があっても参加しないと何も貰えないが、参加しただけで「参加賞」が貰える場合があり
ます。その参加賞は会場に、会議に「現れた」人だけに「与えられ」ます。「wappu'=ワップー」され
ます。名護方言では「配分」は「wappu'=ワップー」と言います。 同じワッペンをしていると同じ
チームのファン、同じ趣味を持っているなどが「見える=目で見て分る」のではないでしょうか。落ち
ぶれて寂しく見えるのを「侘=wabi」しく「見える」とも言います。日本語では「b → p」の変化は普通
に見られ、アッカド語では「u → i」の変化も普通に見られます。 「wapu=wabi」と見なして良い
でしょう。ある上司などは部下が悪い事をした後で「詫び=wabi」を言いに来た、やって来た、現れた、
と言います。その状況を上司や見た人が言いふらしたらそのニュースは会社中に知れ渡るでしょう。
アッカド語では「wapu'=apu'」です。この事が分ると蝉の「脱皮=d-appi」の意味も分ってきます。
蝉の本当の姿が「現れる」のは「脱皮」の後です。「脱皮」をローマ字で書くと「apu'」の変化形の
「appi」が含まれているのに気づきます。「ほんの僅か」「目に見える最少単位」「雀の涙ほど」の量
は名護方言では「uppi=ウッピ」グヮーと言います。余りにも少なすぎると「ウッピ・グヮー・ナー」
と言って嘆きます。思っていたより「多い、大量」の物が「目の前で手渡される」と「appi=アッピ」
ナー・タラムン、こんなにも沢山と言って、喜び、感謝して受け取ります。前回は「appi」は「鼻=
apu」と比較しましたが、「見える、目で見て分る」ほんの僅かの量の「ウッピ」グヮーや「こんなに
多くの、目が飛び出るほど大量の」アッピ・ナー・タラムンもアッカド語の「apu」と関係があると
見なした方が良いのではないでしょうか。

 アッカド語では次の通りです。

wapu' = 現れる、見る事が出来る、見られる、見えるようにする、見せる、
英語では to appear, to become visible, to make visible, display

 apu' =  wapu'と同じ

蝉は脱皮して脱け殻だけ残します。私たちが蝉を「見る事が出来る」のは脱皮の後です。