心を開くと考え方が分る

  心の広い、あけすけな人、偏見の少ない人を英語では「open-minded」と言います。そういう人
の「考えている」事は分り易いです。 心を「開く」と「考え方」が分りますので「開く」と「考え」は
関係がありそうです。離れた区間を連絡する場合に人間は「鳥」を利用する事を考え出しました。
その鳥の名前をなぜ「patu =パトゥ=鳩」と言うか、きょう分りました。ラテン語の「puto=考える」
のおかげです。人間が「考えている」事は「文書」にされます。その文書を運ぶ鳥が伝書「鳩=bato=
patu」です。鳩の名護方言は「patu=パトゥ」です。情報が流れるように、水道の栓が「開いて」水が
流れている状態も名護方言では「patun=パトゥンです。英語の「ope-minded」と同じです。つまり
「patu=鳩」は人間が「考えている」事の中味、即ち、情報の運搬をする動物だから、「鳩」と名付け
られたのでしょう。そう考えるのが合理的だと思われます。 名護方言では陰部を覆っている部分を
「開けて見せる」のも「patun=パトゥン」です。伝書鳩が運んだ文書は相手に届けられると「開けた」
後で読まれます。ラテン語よりギリシャ語を私は良く調べますので、今までどうして気づかなかった
不思議ですが、ギリシャ語の考えるにも「puto=phto」が含まれています。日本語には相手が弱いと
「考える」と「つけ=tsuke=suke=ske」込むという表現があります。女の事だけ「考えて」悪い事
をする人、「ske=すけ」こましは「ske=suke=助」平です。人間はいけない事も良い事も「考え」
ます。知人を助けたいと思う、「考える」なら「suke=助」太刀をするでしょう。多くの人は自分の事
だけを「考え」ているのかもしれません。「skip=すきっ」腹では何も「考えられない」、「考える」力
が出て来ないと言います。

ラテン語ギリシャ語は次の通りです。

puto = 考える、信じる、ラテン語、 英語では think, consider, conceive, believe

skephtomai = 考える、信じる、ギリシャ語、英語では think, consider, conceive, believe