ふと思いついた事、考えた事

 日本語では「急に思いついた事、急に頭に浮かんだ事」を表す場合に「futo=フト」と
表現します。「思いつく=頭に浮かぶ=いつも考えている」ですので、「futo」と「考える」
は関係が深い言葉だと推測できます。沖縄方言では目の前で女の人が裸になると男は
その女を抱きたくて「futu futu=フトゥ・フトゥー」スン、非常に興奮する、と言います。
目の前の女の人が抱けると「思う、考える」からでしょうか。なぜ男は女の裸の事を「考えると」
「futu futu’=フトゥ・フトゥー」するかラテン語を知ってから良く意味が分かった気がします。
日本語の「futa」行音は「考え」と関係がある言葉が多いです。「何も考えていない」人かある信念、
「考え方」に基づいて「他の事は正しくないと考えている」頑固な人ははいつも同じ事を言うようです。
「fata=二」言目にはそう言う、と言われる人は上の何れかに属する人でしょう。前者はあんた
「何も考えていないのね」と言っているのと同じだと考えられます。他の人に、一般の人に「考えて
貰いたくない」時にはその問題に「futa=蓋」をします。臭いものに「蓋」です。普通の人が考えない
「悪い事を考える」人を「fute'=不逞」の輩だと言います。「自分の考え」に拘って「他人の考え
を全く気にしない」人は「fute bute=ふてぶて」しい、と言います。「futa=puta=buta」行音が
「考え」と関係があるのが良く分ります。「何も考えない」人や動物は「物の値打ち」を知りません。
豚は「何も考え切れない」悪者の代名詞です。諺に「buta=豚」に真珠があります。「何も考えない」
豚に真珠の値打ちが分る訳がありません。人間は何の為に文字を書くのでしょうか。それは「自分の
考え」を纏める為ではないでしょうか。自分の「考えを纏めて書きとめる道具、筆記道具」を「fude=
筆」と言のは「puto=futo=考える」と筆が同語源の言葉であるのを表しているのではないでしょうか。
何も「考えない」奴は「打て=bute」、「ぶったら」「考えるようになる」だろうと、昔の日本人は「考え
ていた」痕跡が「ぶて」いう言葉に残っているのではないでしょうか。さる有名人と「太=futo」い
パイプでつながっていると言えば、パイプとは何かと質問箱で質問する人もいるようですが、太いも
パイプも意味はありません。パイプの代わりに何でも良いのです。パイプは明治時代以後に使われて
いますので、それ以前の事を表すのにパイプは不適当だと考えられます。要は「二者間を繋いでいる」、
「お互いの情報、考え方」を仲介するチャンネルがあればいいのです。「太いパイプの」「太=futo」い、
は「考え方」を表し、パイプはチャンネル(考え方、情報が流れる通路)を表しています。お互いの
「考え方」は同じではなくても「相手が何を考えているか」は「ホット・ライン」で共有している事を
示しています。「puto=考え方」の「hot=ホット」ライン、緊急通信手段、です。

ラテン語では次の通りです。

  puto = 考える、信じる、英語では think, consider, conceive, believe