前と後の違いは何か

 前もって分らない物、「見えない」物でも、ある事件が起きてから「後=ato」にはほとんど全ての人に
はっきりと「分る、見える」場合があります。 大震災前は原子力は安全と思われていましたが、大震災後
の今では無条件にそれを信じる人はほとんどいないでしょう。前と「後=ato」の違いは大きいです。私は
今こそが「ata」行音について考える良い時期だと考えています。「ほっか・ほか」の状態を沖縄方言では
ati=achi=アチ」コーコーと言います。ご飯は炊いてから時間が経っていると何時間経っているのか
「見た」だけでは分りません。「アチコーコー」は「湯気が立っています」から「見ていて」すぐに「炊き立て」
だと分ります。新婚ほやほやの人たちは「熱々=atu atu」だと言われます。結婚七年目の夫婦よりは
結婚したばかりの新婚さんは「見ていてすぐに分る」と言われます。お金に困っていて、どうにかして
工面しないと会社が倒産するかもしれない瀬戸際に追い込まれていても、頼れる会社や人が誰もいない、
即ち、頼れる「見込み」がないと、頼れる「当て=ate」がないと言います。ほとんど同じ高さの人が
集まっている所で一人だけ20cm以上高い人、「頭=ata-ma」が抜けている人がいると、どこからでも
「見え」ます。人間は「顔が付いている頭」を「見たら」誰か分りますが、それ以外の体の一部や器官
を見せられても誰だか分りません。以上の言葉を見ると「ata」行音は「見える」状態と関係があるのが
分ります。物は内部に隠して置くと「見えません」ので何があるか分りませんが、「開けて」中身を
全部に「見せる」、「公開」すると「見えます」ので何があるか分ります。「開ける」と「見せる」、「見える」
は密接に繋がっています。沖縄方言では「開いていますよ」は「アチュンドー=achun-do'」と言います。
ある人を誰かが訪ねて来た時にどこにいるか所在を知っていると、その場所を「見えるように」
指で示して「あちら=ati-la」に居ますと言います。今日から1日経つ、明けると明日になります。
「明ける=開ける」と考えて良いでしょう。暗く長い時間の後で太陽が出て夜が「明ける」と「閉められて
いた」夜の帳が「開けられて」明るくなり、周囲が「見える」状態になります。「明日」の沖縄方言は
「acha=アチャー」です。沖縄方言の「アチュンドー」や「アチャー」は「音も意味も」トルコ語
ほとんど同じです。

  トルコ語では次の通りです。

  acik  = 開ける、英語では open, opened, exposed
  
  acmak = 開ける、英語では open, open up


注: c の下には細長い s のような発音符号が付いています。「チャ=cha」行音を表します。