無理が通れば道理引っ込むとドゥーグル・ハン

 ある団体の長が白を黒と言えば団員の全部がそれを否定しないどころか、そうだと
肯く状態は無理が通れば「道理=do’ri」引っ込むとも言います。高速道路や鉄道など
を敷設する時には大きな都市と次の大きな都市を「直線」で結ぶ方法が工事もやり易
く、経費も少なくて全ての面で都合が良いと考えられます。 それなのに、もし偉い人の
鶴の一声でかなり離れた小さい都市を高速道路や鉄道が通る事になれば、その方法
はまさしく「無理=曲がりくねった道」が通れば「道理=道路=直線道路」が引っ込む、
直線道路ではない状態になると言えるかもしれません。 人間が「進むべき正しい道」
が「道理=do’ri」と考えられます。 日本語では「正直に」生きなさいは「真っ直ぐ」に
生きなさいと言い換える事が出来ます。「真っ当な」生き方をしなさいとも言います。
生き方も道も「真っ直ぐ」なのを名護方言では「真っ当ば」と言います。人間が気まず
い思いをする時はどういう時でしょうか。それは白を黒と言っているのに、無理が通れ
ば「道理」引っ込む状態になっているのを知りながら、何もしない時でしょう。自分の
順番でもないのに、自分が来た為に、前から待っていた人が後回しにされて、どうぞ、
あなたから先にと言われた時に「気まずい思い」をするでしょう。こういう時には名護
方言では「du’guru=ドゥーグル」ハンと言います。「有るべき状態ではない、正しい
状態ではない」時に感じる気持が「ドゥーグル・ハン」です。相手に「気まずい思いを
させて」は「du’guru-sa=ドゥーグルさ」シミテと言います。 上に述べた事はかなり
あったと考えられます。そんな事は良くない事だと諭す寓話が「裸の王様」でしょう。
騙されない子供は王様は裸だと言っているのに、周囲の貴族や官僚たちは王様は
立派な服をお召しになっていると囃し立てている風刺画のような話は「無理が通れば
道理引っ込む」を表していると言えるでしょう。

 トルコ語では次の通りです。

  dogru = 正しい、真っ直ぐな、英語では correct, right, straight

dogrudan = 真っ直ぐに、直接に、英語では straight, direct, directly 

 注: g の上にはこの文字を発音しないという印が付いていて、g の前の母音を
    長く発音しますので、この単語の音は「ドゥ―ル」に近い音です。「道理=do’ri」
    とも似た音です。古代ではトルコでも「g」をそのまま発音していたと考えられ
    ます。そう考えると「ドゥーグル」の方がトルコ語に更に近い音になります。