死と姥捨山


もう要らない、「もう」これ以上
生きる「必要はない」と分った時に
昔の老女は「姥捨山」に連れて行き
置き去りにしてくれと頼んだようです。
なぜでしょうか。シュメール語と
相撲用語が分るとその意味は簡単に
分ります。以前は「山」の付く相撲
取りが沢山いました。メソポタミア
の平地の北東の山地に住んでいた
力持ちがその山から降りて「来る=
kuru」、戦いに負けて強制的に
連れて来られると相撲取りにさせ
られたようです。シュメール語では
「kur=山」です。「もうこれ以上
要らない、十分だ=kur」です。
「もうこれ以上生きる必要がない=
kur=苦しい=山へ連れて行ってくれ
姥捨山」になります。

シュメール語では次の通りです。


KUR = 山、英語では mountain

KUR = 十分な、もう要らない、英語では sufficient, enough