居る人と来る人

 自分の地域に昔から居る人は同郷の人、同胞でしょう。よその地域から「kuru=来る」人
は異郷・異教の人、即ち「外国人」でしょう。 沖縄では行くも来るも「kuru」と言う人がいるが
それはおかしいと言う人がいるそうですが、そう思う人が間違っています。遠くからやって
「来る」、ある所を出発して目的地に数十分後にやって「来る」と言います。出かけるのは
「行く」ですが、目的地にやって「来る」のは別の言葉では「到着する」です。「来る」には
こちらにやって「来る」以外にも目的地にやって来る、到着する意味があります。「行く」と
「来る」も「kuru」の音で表されるのは視点が違うだけです。同じ動作と見なして良いでしょう。
同じ音で動きが反対になるのは困る場合が良く起るようです。そんな時には「kuru」を二回
続けて表現します。すなわち「kuru-kuru=クルクル」「変る」です。頭のおかしい人は「kuru-
kuru=クルクル」パーとも言います。「何も知らない」人を表す場合は「kuru」の音を使うよう
です。向うからやって「来る」人が、見ず知らずの人なら「昔は、或は人食い人種は」相手を
「敵」と思ったかもしれません。

 シュメール語では次の通りです。

  KUR = 知らない、外国の、敵、変る、変える、英語では to be foreign, enemy, to change

  KUR  = 入って来る、(ある所を出発して目的地へ)やって来る、
英語では to enter, to arrive, to reach