クヌヒャーと言われて感じる事:: 感が良い、ズル賢い

  同じ意味の二種類の言葉を並べて新しい意味の言葉を作る日本語の作法に従うと、感が
良いと感じるは「感=良い=じる=ziru」になります。 感じるの以前の言い方は感「ずる=zuru」
でした。「ziru=zuru」です。頭が「良い」のは「賢い」と言います。ずる賢いは同じ意味の二種類
の言葉を並べて新しい意味の言葉を作る日本語の法則通りの言葉です。即ち「ずる=zuru=
賢い」です。男女関係を見ると分りますが、人間は異性が「kini=気に」いると、その異性に
近づき「世話をしたく」なります。相手の気を引こうと、どんなに相手の世話をしても見向きも
しない時には「こいつはどうしようも無い」と思うでしょう。 そのような時に言う「こいつは」の
名護方言は「kunu=クヌ」ヒャーです。気にいるの 「kini」は「kunu」に変化しても同じです。
即ち「kini=kunu」です。母親が赤ちゃんを育てている時の「世話の仕方」を見ていると「普通の
人間関係を遥かに超えた」「濃い・親密な」接し方です。そのような状態は「kana」行音で表さ
れます。 「とても可愛がる、強い愛情で接する」のを名護方言では「kana=カナ」ハンと言い
ます。 全然関係ない人が亡くなると、ああそうかと思うだけですが、身内の人が亡くなると
「kana=悲」しみます。「気に入る」のも「クヌヒャー」と思うのも「通常の範囲を超えた心の動き
とそれに伴う行動」です。「kana」行音がそのような状態を表すと考えて良いでしょう。ずる賢い
の「zuru」も「kana」行音も、日本語では善悪、良・不良に関わらず「通常の範囲を超えた」状態
を表す場合に使われています。

 スメル語とアッカド語は次の通りです。

  ZUR = 世話をする、面倒を見る、スメル語、英語では to take care of

  kunnu = 世話をする、面倒を見る、アッカド語、スメル語の ZUR と同じ
       英語では to take care of