2016-05-04から1日間の記事一覧

ニンジュ・ヌ・揃い、人衆は多いほど楽しい

遊びの美らさや 人衆の揃わい 踊て遊ば 沖縄のエイサーの歌詞に、遊びの美らさや「人衆」の「揃わい」 踊て遊ば、があります。「人衆=ninshu=人数」が「多い程」、「沢山の人が揃った程」楽しいと歌っています。 アッカド語のアルファベット表記 は次の通…

ニーセー、二世、偽者の語源、人々を表す言葉

一種の悪い「人間」を表す言葉に「nise=偽」者があります。「少ない」人数を表す言葉が「nisa=ニサ」ンです。二、三人と表記します。沢山の人は「nisa」の語尾を「u」に変えた「nisu=ニス」になると推測されます。母音を強調する時には「n」を加える時があ…

小豆、アズキと読むのはトルコ語の読み方

「小さい」豆の小豆をどうして「az=azu=小」と読むかはトルコ語が分ると成る程と思います。この件は前にも述べました。 トルコ語のアルファベット表記は 次の通りです。 トルコ語 日本語 英語 az (T) 小さい small 少し a little bab.la辞書 英語・トルコ…

これしきでへこたれるか、始めて間も無くきついと言う人への叱責

「これしき」で凹たれるかと言う表現があります。何故これしきが大した事では無いかは「siki=些細な、僅かな」の意味が分ると簡単です。 きつい練習を長い間すると苦しいでしょう。しかし始めてまだ「間もない」時、早い時間に、きついと言い出すと「これし…

識別の語源、一つ一つの違いを見て別ける

知識や屋敷の「siki」が「小さい、細分された」意味である事が分ると、色々な物の違いを「一つひとつ」見て分る人は全ての物を一緒くたにしないでしょう。全ての物を種類別に「分けて」置く場所を決めるでしょう。「siki=識」別の意味はトルコ語が分ると一…

常識の語源、たかが知れている事、大した量ではない

人間個人個人の常識は「知れた物」、」たかが知れている」事だと推測されます。「人類全ての知識、常識」も「たかが知れている」と推測されます。そう言うと何を言うかと否定する人が日本にはいると思われますが「人間を神と対比して考える」宗教では当然の…

トキワハゼの語源、冗談、上段と戦う、常夏、常盤

「じょう」の音の基本的意味は善悪に関係無く「上、飛び抜けている、範囲外」です。「受け入れられる範囲外」の話をされると「冗談では無い」と言い返すでしょう。北海道で冬を過ごした事がある人は暑い日が良いと思うでしょう。 しかし沖縄で夏を過ごした事…

員数が足らないの語源、人数、人足が不足

人間を表す言葉に人員、役員、店員、員数があります。この言葉もアッカド語の「nishu」と同じ語源から派生した言葉と推測されます。 アッカド語と関連諸語のアルファベット 表記は次の通りです。 アッカド語 日本語 英語 アラビア(Ar) 'ins 人 man nishu' 人…

ヤー・ニンジュ・ヌ、家族の人衆、人数、家族が皆揃って

家族の皆が揃ってある場所に集まると名護方言では、「家=ヤー」「ニンジュ=ninzhu=ninshu=nishu'=人々=皆」「が=ヌ」「スルティ=揃って」と言います。 アッカド語のアルファベット表記 は次の通りです。 アッカド語 日本語 英語 nishu' 人々 people …

片っ端の語源 2、片がつくと言葉の端々

端っこは「pasu=pasi=パシッ」コだったと推測されます。言葉の「端々」は「pasi=hasi=basi」と変化している事が分ります。自国の領土の「隅々」は「端々」と言い換えても良いでしょう。「境界線、隅々まで、終り迄=片っ端=pasu=hasi=端々=basi」で…