頂上と全て これだけでは済まされない

山の高い所は一種の端っこ、
最後の所、境界線、限界です。
「summit=頂上=sumi=隅」
です。「m=b」ですので、
「sumi=subi」になります。
一番「隅」の「頂上から麓まで」
「山」を「一つの範囲」と考える
事が出来ます。この山から毎年取れる
物を全部管理している役人もいたで
しょう。「一」「山」幾らと表現し
ます。一山はこれだけで全部です。
「sube=全」てとも言います。
「隅=sumi=sube=全=限界
=範囲内」です。「suba=suma
=範囲内」を表す日本語は多い
です。これだけでは「済ま」さ
れない、これだけで「済む」と
思うな、良くこれだけで「済ん」
だものだ、など「suma」行音
は「summit=山頂」と同じ
ように山の限界、範囲、責任
の範囲などを表しているのが
分ります。いつまでと「範囲、
期限」を決めてそれに従わない
と「sime=閉め」出すのが
「sime=締」切です。この世
の「範囲を越えて」あの世に
行くと「sibo'=死亡」です。
公私は「区別」しないと
いけないですが、公私混同
する人がいます。公の物を
自分の支配下、自分が専有
するのを「sibutu=私物」化
と言います。世の中には現実
と夢、現実に似せた事柄が
あります。現実以外の出来事
は「sibai=芝居」です。現実と
空想を分ける方法もあります。
「siben=思弁」は空想と見なさ
れているようです。性は男女、
雄と雌に分けます。雄「しべ=
sibe」と雌しべは別の世界に属す
る性であるのが分ります。知って
いる事を二三試しただけで、為す
「sube=術」を知らないと言っては
いけないでしょう。知っている「sube
=全」てを試しても、どうにもならない
時に、為す術を知らないと言うべきで
しょう。「suba=素晴」らしいと人々
が褒め称えるのは「sub=suba=普通
の人ができる範囲」を越えた時、その
状態を否定した事態が起きた時です。
「la=否定」ですので、「普通の
範囲=suba」「la=そうではない、
違う、否定」に状態を表す美味しい
などの「しい」がくっ付いた言葉
です。



シュメール語では次の通りです。


SUB = 不必要な物を切り捨て必要な物だけ中に残す、
要らない物を切り捨て整理する、範囲、限界を決める作業、英語では trim, cut off